ノスタルジーとセカイ系

id:bakuhatugoroさんのリファーで、とりあえずオタク方面だけ*1

ノスタルジーへの違和感は良く分かるんだけれど、同時に、「今」と「自分」しか見ようとせず、歴史の「縦」の広がりも「横」の世界観の広がりも失って、点になっちゃってるような、そして矛先が曖昧なオナニー化してるようなせせこましさを、オタクに限らず新世代に感じるのは事実。
当時のガイナックスが今のオタクと違う点っていうのは、戦争を体験し、また戦後の高度成長を支えた自分の親や、アニメってジャンル自体を立ち上げた先行世代への畏怖と緊張感っていうのが凄くでかかったということ
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040808

これはつまりセカイ系への違和感だと思います。

私は歴史や過去を学ぶこと、当時の話を本で読んだり映画で見たりするのは基本的に嫌いじゃないですよ。新撰組も見てますし(笑)
この日記になると、どうしても、ここ最近のものを紹介しがちですけど。
でも私がそういうものに触れる時はそのまま没頭するということはあんまりできなくて、どうしても今との比較による誤差の確認みたくなります。
だから、そういう書き方紹介の仕方をしたもの、例えば最近だと浅羽通明さんの「ナショナリズム」・「アナーキズム」なんかは勉強になりました。ただ、ほとんどの場合、そういう距離感がなくて、その過去に、しかも改変された思い出に引きこもるみたいな形になってて、それが特に90年代は問題意識をもって格闘してたオタク第一世代に多いような気がして何だかなぁって感じで。
昔はよかった。ってのはわかるけど、じゃあ今はどうすればいいの?
ってどうしても思ってします。
歴史を学ぶってことは過去の流れと今の自分とを繋げる作業なんじゃないといけないというか、それはファンタジーでもSFでもいいんだけど、「いま・ここ」との距離感がなくなってるものは嫌だなぁと思います。

では対してセカイ系はというと「いま・ここ」しかないんですよね。
歴史や社会の横軸がなくて、かわりに小さな人間関係とセカイという縦軸しかない。

仮にオタク史00年代前半のトピックを選ぶなら多分上位1・2位って「クレヨンしんちゃんのオトナ帝国の逆襲」と「ほしのこえ」だと思うんですけど、いわゆるオタク系のライターとか評論家の人で、この二つに同時に言及してる人ってほとんどいないんですよね。ましてや比較となると誰もしてないんじゃないだろうか?
こんなに綺麗に分離するのか?ってくらい分離してます。
多分ちょっと評論とか興味ある人だと理解してくれると思うんですけど
岡田斗司夫さんや唐沢俊一さんのいう「オタク」と
東浩紀さんや斉藤環さん達ファウスト系のライターの人のいう「オタク」
の二つのオタク解釈というか理解があって、この分離って何かいつの間にか起きてて不思議ですよね
前者が仮に「ノスタルジー」消費なら後者は萌え消費っていうのかな?
多分「萌え」が最大に機能するのがセカイ系で。

この「萌え」と「ノスタルジー」両消費の傾向*2。が出てきたのってほとんど同時だった気がするんですよね。具体的にどの作品ってのいいづらいんですけど。

多分エヴァまでは両者の共存がなされてたんですよね。それがどこで別れたんだか?

何かこの分離が今オタク表現を不幸なことにしてるのかなぁ?って気はしますね。案外すごく乱暴にだけど宮藤さんとかの方がその歴史に対する認識はもってるんですよね。
まぁ私はオタクじゃないからどうなろうと知ったことじゃないけど(笑)

追記・あと私はid:bakuhatugoroさんのいう「負け方」ってのは「終わらせ方」ってことだと解釈してます。
そういう意味でいうと実はアメリカ自体がマイケル・ムーアを使って、うまく今までの悪い流れを終わらせようとしてるって見方もできるんですよね。多分華氏9・11の盛り上がりに何だかなぁって思ってる人はブッシュ大統領に責任おっかぶせて帳尻合わせようとしやがってって気分なんだろうけど*3
まぁうまく終わるのは難しいですよ。
エヴァが好きなのは一応ちゃんと物語は終わってるからなんですよね。
最初から終わりに向かってちゃんと妥協せず貫徹できたって感じで。
実は今一番難しいのはそういうことだと思う。

*1:カウンターカルチャーに関しては私はお勉強させていただきましたって感じです

*2:あとはカウボーイビバップとか押井守さんの作品あと大友さんやスタジオ4℃の作品みたいなオシャレ消費とでもいう系列の流れもあるけど、それはオタクというよりサブカルなのかな

*3:cutに乗ってた太田光さんのコメントがそれっぽかった