永遠も半ばを過ぎて 著・中島らも

綺麗な小説だなぁと思う。
そしてこの綺麗さは現実を覆う皮膜に対する絶望感からきているのだと思う。
現実に抗うための唯一の武器。それは「嘘」
嘘は美しい。
だって嘘なんだから。

孤独というのは「妄想」だ、孤独という言葉を知ってから人は孤独になったんだ。同じように、幸福という言葉を知って初めて人間は不幸になったのだ。
人は自分の心に名前がないことに耐えられないのだ。そして、孤独や不安の看板にすがりつく。私はそんなに簡単なのはご免だ。不定型のまま、混沌として、名をつけられずにいたい。
この二十年、男と暮らしたこともあったし一人でいたこともあったけど、私は自分を孤独だと思ったことはない。私の心に名前をつけないでほしい。どうしてもというなら、私には一万語くらいの名前が必要だ。  P181より

女性編集者宇井美咲が登場するのは物語が半分過ぎた辺りからなんだけど、彼女がいい。
たしか映画化もされてるはず鈴木保奈美主演だったから、彼女が演じたのか?

「先生は生者死者とおっしゃるけれども、生者ってのはそんなに誇らしいものですかね。おれは、岩や水の方がうらやましい。生きてるってのは異様ですよ。みんな死んでるのにね。異様だし不安だし、水の中でもがいてるような感じがする。だから人間は言葉を造ったんですよ。卑怯だから、人間は。おれはその言葉を毎日写植で打って暮らしてます。写植屋にとっては、文学も肉の安売りのチラシも同じことで、崇高な言葉もなければ下等なこと名というものもない。ただ打って打って打ちまくるだけです。印象なんてものが残ると困るんだ。だから打ってて一番いやなのは先生の言う文学だな。原稿が匂うんだ。今の連中はインキのかわりに糞を使って書いてます。生者の愚痴を長々とね。おれはそんなことならむしろ幽霊に書かせてやりたいですね」   P246〜247より

改めてらもさんの著作をいくつか読んでるけど、こんなにきれいな言葉を書ける人だったんだなぁと驚く。
綺麗な言葉と同じくらい馬鹿なくだらないことも書いてるけど、そのバランスがまた絶妙だ。