蛇にピアス 金原ひとみ

いやぁ生まれてはじめて文藝春秋を買いました。
蹴りたい背中」と「蛇にピアス」をまとめ読みしたくてつい(笑)
あとインタビューと選考理由が載ってて、全部まとめて読んで面白かったです。この二人はこんなに違うんだなぁ。
お二人の比較は後々するとしてまず「蛇にピアス」を読みました。
内容は主人公の女の子ルイが癒し系パンクスのアマと付き合うことがきっかけでピアスやスミ(刺青)を入れていく話でしょうか。まぁ芥川賞ってのはストーリーをどうこういう話ではなくて描写とか表現を見るものと思うので、説明にあんま意味はないと思う*1
読んでて思ったのは村上龍*2っぽいなぁって感じ、トパーズとかピアッシングとかの、やたらとSEX描写があるんだけどそれも淡々としてる。
何かものすごいスピード感あるんだけど、その状況を冷静に見てる自分がいるというか*3あとは身体性へのこだわりですかね、意識的にそれを出そうとしている。
以前「俺」対「僕」の構造について書いて「俺」派を村上龍、「僕」派を村上春樹と分類したんですけど、書き忘れてたことを書くと
私の感覚からすると村上龍は身体的で即物的つまり描写が具体的で固有名詞もガンガン出す。対して村上春樹は抽象的というか描写もあいまいで、内容も心というか内面を重要視してる特に初期は名前にすら「僕」とか「鼠」とか抽象名詞*4で書いてる。
もちろん龍も春樹も長い間書いてるから変節特に90年代はあったと思うんですけど、この分類はまだ生きてるのかなぁと思います。
で、そう観た時、金原ひとみさんの描写はやっぱ村上龍的かなぁと思いました。
あとこの話に関していうと、重要登場人物3人は最初お互いルイ、アマ、シバとあだ名で呼び合っていてお互いの素性を知らないまま、知ろうとしないままピアスの話とSEXばっかしてるんですけど、
最後に本名が三人ともわかるんですよ。ある種、凡庸な自分にたち戻る感じがして良かったです。
はっきり言って彼女たちは凡庸な自分がイヤで、それが生きるのが辛いトコまで行ってて、だからその曖昧な自分を特別な入れ替え不可能な自分になるためピアスを入れてスミを入れる、まぁその欲望自体特別なものでなく凡庸なのかもしれませんが、その辺りの気分を共有できたら*5楽しめるのではないでしょうか。

対してまだ未読の「蹴りたい背中」はどうなんですかね?凡庸な自分をそのまま凝視する作品なのでしょうか?最初の1ページ読んで「この女ヤな奴だなぁ」とグロテスクと同じこと思ったので楽しみです。
どっちが勝つか三代目って感じで(笑)

*1:というかそっち系の文学はあんま読まないのでわかんないッス

*2:もしかしたら山田詠美も入ってるのかも?私はあんまり読んでないんですけど,まぁ本人が影響を語ってからそう思うのかもしれないけど

*3:その意味でトパーズとかラブ&ポップの女の子文体をもっと自然にした感じでしょうか?

*4:そんな言葉ないかな?

*5:私は特別な自分を渇望する時に自分の体に関心がいく感じはまず完全自殺マニュアルからある鶴見済さんの著作で体感しやがてファイトクラブに至る流れで何度か共感してますので、その流れでわりと好感をもちました。多分ダイエットやリストカットとか売春もそうだと思うんですけど体をいじるという行為、傷つけることも含めて自分の体を自分のものとして取り返す行為なんではないでしょうか?私の体は私のもの!みたいな