トップランナー見逃した(泣)

新撰組が異常に面白い。
始まったころは三谷幸喜特有のケレン味がなくて不満だったけど
素材が十二分に面白いから小細工はいらなかったんだなぁ。
私、薩長同盟の話が出るまで新撰組が負けていくことを忘れてたんですよ
それくらい普通に見てたというか。
なんつうか悲哀ありますね。
近藤さんも沖田も当初の無邪気さ知ってるだけに。
一年間という長丁場のよさがすごい出てて
今は巻いた種が刈り取られてるって気がする。
いろいろ賛否あるけど、ほとんど死んでた大河ドラマに息を吹き込んだ
ってことは評価されるべきだと思う。
視聴率が過去とくらべてどうか?
ってよりこの質の高さは何より財産だと思う。

放送見てる時は忘れるけど、歴史を一つの物語として見た場合、新撰組ってのは脇役なんですよね
仇花というか。坂本竜馬とかの方が主役でだから物語もたくさん作られる。
三谷さんは小悪党というか、器の小さい人間の描写させると最高に光るけど
そういう存在の吹き溜まりとして描かれる新撰組ってのはいいなぁと思う。
そして毎週毎週彼らが去り消えていく。

ちょっと最近郷愁病気味なのでより響きます。
歴史は切ない。

・ぶへぇ〜吐きそう

2005年「最終兵器彼女」プロジェクト発動!

●実写映画「最終兵器彼女」●
2005年秋 全国東映系公開 今秋クランクイン!
主演;前田亜季さん
http://www.sinpre.com/news/news2004.html

前田亜季ならちゃんと脱いでくれそうだからいいんでないでしょうか。
たしか実写化の話は前もあったけどギリギリんトコでご破算になったん
じゃなかったかな。主演誰だったんだろ。
当時連載中の「なるたる」の編集者がページの端に延々「なっちの話」
ってのを載せてて、なっち主演で最終兵器彼女やってくれってアフタヌーンで書いて
たのを思い出す。北海道つながりなのかな。
当時のモーニング娘。は妙に軍服似合いそうな感じあったし(今は知らん)

イカノが実写になるんなら、あの辺りのぽすとエヴァ+萌えマンガみたいのは
続々実写化されるかもなぁ。
そん時は多分バトロワ周辺に出てたコが中心になるのか。
世の中なんでもとりこまれてしまふのね。

そういや新撰組藤原竜也山本太郎が出てたのは面白いなぁ。

・全部面白い⇒http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20041010

体力ないのであんま触れられないけど、とりあえず木更津と狂気の桜のついては
義務として(笑)

狂気の桜って窪塚洋介の中でアンチ池袋ウエストゲートーパークというかキングで付いたイメージを振りほどきたかったんだなぁって当時思った。
狂気の桜の前半で山口達に粛清?される若いあんちゃん達ってのは池袋〜に出てくる、それこそGボーイズみたいな面々なんですよね。で例の何故かV3になっちゃうシーンでいう「変なドラマみてるここうなっちゃうぞ」みたいなこと言うのは明らかに自己批判という感じで。
私はそれこそサムライダーで書かれてるようなプアジャパニーズの吹き溜まり層に
何とか希望のようなものを見ようとした池袋〜が好きで
窪塚君が演じたキングってのはその象徴だったんですよね。
多分主役の長瀬演じるマコトより人気があったし今もあると思う。
それをGOで中途半端にお勉強した窪塚くんが否定してるみたいで
フリッパーズギターの頃を頑なに否定する小沢健二を見てるみたいな気分で複雑でした。
少なくともベタベタな高橋マリ子よりジェシーやモー子が存在できる舞台の方がわたしゃ好き。

あと木更津ってのは(というより宮藤さんの作品は)ある意味すぎむらしんいちや初期の松本大洋が持ってたやさぐれた感じに対するアンチテーゼだったんじゃないですかね。
今はわりとそういう表現に私は寛大(笑)ですけど、当時はそういう邦画やATGのしょぼくれた
負けの美学みたいのが嫌いでしょうがなかった。

そういう日本的な負のナルシズムに風穴開けた*1のが木更津キャッツアイだったと思う。
(池袋〜はまだそれがギリギリ残ってた、堤さんが反体制の人だから)
ただそのアンチテーゼの部分は中々理解されずらくて
それは作り手でもそうで、例えば下妻物語とかスイングガールズみたいのを見てると(実際には見てないけど)邦画のメソメソ感がきれいさっぱり切れちゃって能天気な話になってる気がする。

その辺りの映像表現の変化って邦画だとウォーターボーイズで起きてて。
ダサいはずの男性シンクロが何故かカッコよく見えるよさが
テレビだとイケメンの乳首を見るための舞台装置になっちゃってて
当初あった情けなさが忘却されている。

もうこれは言っていいと思うけど2000年前後、クドカン前後で邦画やドラマってすごい変化したんですよねいつの間にか。その中間に丁度木更津キャッツアイってあって。

当初あった共有されてたはずの宮台さん風に言うトコの「あえて」の部分*2が時代がたつごとに
忘却されてベタになる。
ネタとベタはどっちつかずだから面白いんですけどね。

最後に書いてて思ったのは私は物事の二重性に引かれるんだな。
楽しい中にある切なさとか仲間同士でいるのに孤独とか
逆に殺伐としすぎてかえって笑っちゃうとか。
そういうことを文章でも書きたいけどそれは中々難しいんだなこれが。

*1:でもちゃんと見るとそういう部分も残ってる、ぶっさんが一人になった時とか

*2:でも往々にしてあえての部分ってのはスパイスで見えない人には見えないし、もっと濃いほうがいいって人もいたりするんですよね。多分、評論がしなきゃいけないのはその前提となる「あえて」をフォローすることではなかろうかと思ったり