感情的安全を保障される流動性の低い場

・今「火山高」が放送されてるけど、学ラン着た女のリーダーみたいな人の声が林原めぐみ
副リーダーみたいな人の声が宮村優子なんですよね。ついでに役者さんも宮村優子そっくり。
たしかナレーションは古田新太で、ストーリーはゲーセンの格闘ゲームみたいで問題外だけど設定はカッコイイなと思う。
竹刀をもった学ラン美少女は小西真奈美みたいでちょっと萌えます。
・来週のトップランナーはいよいよクリちー。

・今日しゃべり場見てたらネットの人間関係と現実の人間関係どっちが大事かみたいな話題をやってた。途中からだからよく理解できなかったけど、今の中高生はチャットとかネットが当たり前で
そこで知り合った人間関係ってのも、つまり会うってのも当たり前なんだなぁと思った。
はじめからネットとか携帯電話がある環境に生きてるってすごいなぁと思う。
正直どっちが大事か?ってのは問い自体が不毛というか何というか。
それと同じように本当の自分が出せる場所探しってのも、そういう発想や努力自体を若い頃から要求されてるんだと思うとしんどそうだなぁと少し思う。
まぁしゃべり場だからってのを差し引いても、そんな若い頃からそういう問題とぶちあったってるのか?って感じで。
・宮台さんはわしズムの家族論の中で第四空間*1に逃亡した若者は一部を除き尊厳(自己価値)を獲得できなくて、多くが不安定な「オクスリ系*2」へと退却したと書いてる。
そして宮台さんは「感情的安全を保障される流動性の低い場」が必要だ。と珍しく提案というか結論めいたものを提示してる。
これは逆に言うと「感情的安全を保障される流動性の低い場」なら何処でも、家族でもネットでも友達同士でもいいんだよって言ってるように私には読めた。
でもたいていの人、特に若い子の場合、どこに行っても流動性を感じてしまうのではないだろうか?つまりここは私の居場所ではない、本当の私を出せない。みたいな
多分それは場所の問題じゃないんだと思う。

ゲストの石田衣良さんは現実もネットも両方あってもいいと言ってたけど、私はもう一つ一人になる場所、一人で考える場所も必要なんじゃないか?と思った。
それは例えば一人で小説を読んだり音楽を聴いたり。あるいは夜空の星を数えてみたり(笑)
最近、古谷実さんのシガテラで「孤独が人間を鍛えるんだ」みたいな台詞があって「おぉ」と思ったんだけで、もちろんそれだけだと孤独に呑まれる可能性もある。
大事なのは往復運動というか。
私もどっちかというとそっちに比重が行き過ぎてた時期が長くて、半引きこもりみたいな時期もあったから、仲間でつるんで濃密なコミュニケーションをしてる(ように見える)人たちに劣等感みたいな負い目が今でも少しあるんだけど。
スーパーフリー事件のノンフィクションとか窪塚君の一連の騒動とか思うにつけ、そっちだけじゃやっぱダメなんだなぁとも思うように最近はなった。
結局一度も一人になったことない奴が仲間とつるむなっていうか。
それにしても何で私たちはこんなに孤立すること一人になることを怯えるようになったんだろう?
と時々考えマス。

本当は「モンスター」と「愛人」と「ドリーム・キャンバス スーパーフリーの「帝国」」を題材に「愛について」(笑)考えてみようかなぁと思ったけどイマイチ気分が乗らないので
また後日。

それにしても火山高は愛すべきバカ映画だなぁ。これを作れる韓国映画の体力には感心するけど。

火山高 [DVD]

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*1:結局第四空間自体が流動的で不安定な場所だったってコトだろうと思う。そしてそこに集う人間も

*2:多分他の論考で宮台さんがよく使うメンヘル系と同意