どくさいスイッチと出木杉くん

今日一日考えてたんだけど、ひょっとしてデスノートとは
ドラえもんに出てくる「どくさいスイッチ」なんじゃないだろうか?
参照⇒http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hujiko.html
もしかして有名な話なのかな?
ちなみに「どくさいスイッチ」ってのは実は独裁者になりたい人を諭す道具でそんな能力をもったら一般の人は耐えられないよ。というファンキー先生らしい道具なんだけど。
まぁファンキー先生の作品ってのはそういう要素が多いというかそればっかりで
多分ほとんどの人が何でのび太のトコにドラえもんは行ったんだ。
自分だったらもっとうまく使いこなすのに
と思ったと思う。
ちなみにファウスト二号に掲載された乙一先生の小説はそういう話で、だからなのか?わかんないけど一時期、大場つぐみ乙一説ってのが出てた。
つーか私は今だに信じてるんですけど、クイックジャパンの対談も自作自演で(笑)

でも多分ファンキー先生は人間は巨大すぎる力を使えないってことを伝えたかったと思う。
だからのび太は失敗するし成長しない。
F作品でドラえもんだけは好きじゃないって人がたまにいるけど、ある意味もっとも辛辣でリアリティのあるのがドラえもんだ。

さて結論を急ぐけど、じゃあもしドラえもんがのび太のトコじゃなく出木杉君のトコに、しかも「どくさいスイッチ」だけもって現れたらどうなるのか?
それがデスノートなんだと思う。
多分このマンガの特殊さって主人公が出木杉君のトコにあるんだろうなぁ。

あと面白いというか今後重要になってくるのは作者の死生観だと思う。

例えば殺人を悪だと思わない人間は裁けるのか?
と自分が殺人を犯したことを忘却した人間を殺人の罪で裁けるのか?

もちろん表面上法の執行はできる。
でもそれが内面に及ばされない限り裁けたことにはならない。
だから最終的に夜神月が今までしてきたことを罪と思うか思わないかが問われるのかなぁ
と思う。
もしくはこのままデスノートが次から次に人の手に渡り続けて、「悪いのは人を殺せる能力だ」
という結論に行くのか?
それだけは勘弁してほしいけど

追記、関係ないけどガンツって「一人ぼっちの宇宙戦争」に似てると思う。