音楽は何のために鳴り響きゃいいの?

アジアンカンフージェネレーションの新曲「君の街まで」のPVをたまたま見た。

内容はどこかのオリンピック会場、女子シンクロの競技をやっていて次に参加する女性選手二人に監督(何故か山本晋也)が激を飛ばしている。
二人は気合を入れてプールに入場し演技に入る。
それと同時にアジカンのメンバーがプールサイドでバンド演奏を開始し
シンクロ演技と並行して進んでいく。
このまま終わればまぁ最近のちょっと変わったPVなんだけど
選手の演技中突如一人のメンバーがプールの底に住み着いてた巨大エビ(笑)のハサミに捕まりプールの底に引きずり込まれる。
丁度間奏のトコで
アジカンのボーカルも「ハっ」とした顔をして状況を見守る。
山本晋也は何か叫んでいる。
となりにいた選手は演技をしながらも不安な表情を浮かべている。
そして巨大エビの小屋みたいなトコに引きづりこまれる選手、そこには小エビが一匹。
間奏が終わる
ボーカルは何事もなく歌い出す
隣りの選手も演技を続けて大技を披露する。
歓声をあげる観客、喜ぶ監督
やがてプールは赤く染まる。
















ということはなく自力で選手の方は巨大エビから逃げ出して無事演技の合流して、巨大エビは何故か山本晋也監督に絡みついてるカットがちょっと映る。
番組の都合なのかPVはその数秒後に終わるんだけど、もし選手が自力で逃げられなかったら上で書いたのと同じような結果になったんだろうなぁと思う。

私がPVで見てて思った展開は間奏の後アジカンのボーカルがプールに飛び込んで助けるか
監督が助けるか隣の選手が助けるか?の展開だったんだけど誰も助けに入らなかった。
もちろん助けに入れば選手は失格になる。もし生き延びてもメダルを取れなかった屈辱は残り帰国後に羽田空港で非国民だと生卵を投げつけられるかもしれない。
だから彼ら彼女らにとって競技を続けることは命よりも大切だという考えもあるかもしれないけど、それでもやっぱ「誰か、つーかボーカル助けろよ」って思う。
でも、あれを見てるアジカンファンにとってはそれが当然なのかもしれない。
自分のピンチは自分で切り抜けろ、回りを巻き込むな。みたいな。

まぁ本当にプールが真っ赤かだったら大島渚の儀式並みの辛辣な音楽と視聴者とのパロディになったかもしれないけど。

例えばこの曲のPVと似たものとして最近だと岡村靖幸ちゃんのミラクルジャンプのPVがあって、これはプロレス会場で戦う血まみれの(多分30代超えてるであろう)レスラーの横でレスラーや観客には見えない岡村ちゃんが励ましてるように歌っててアジカンの新曲と構造は似てるんだけど受け取る印象はまるで違う。

まぁ確かに音楽でも映画でもそういうものだと思う。ブルーハーツの「人にやさしく」風に言えば「マイクロホンの中からがんばれって言ってやる」で、基本的には遠くから「がんばれ」だけで何かしてくれるものではない、せいぜい何かのヒントくらいだ。
でもアジカンのPV見てて薄ら寒いものを少し感じた。
あれを普通の人は笑って見てるのだろうか?私は考えすぎなのだろうか?
助けに飛び込んだ方が絵としてカッコイイのになぁ。