こいつの言ってることは正しいかもしれんけど何か気に食わん。

ジャンヌ・ダルク見てます。
こういう脳が30㌫くらいで見れる映画もたまにはいいなぁ。

昨日の日記の続きだけど
つまり論理で勝って人情で負けてるんですよね宮台さんは常に
それが他の学者ならともかく
常日頃コミュニケーションの重要性を説く人間としてどうよ?
って感じの違和感で。もし本人が戦略で不快感を与えてるって言うなら別ですけど。
多分違いますよね。もっというと上の言葉の「何かムカつく」って思われた時点でヤバいんじゃ
ないですか?と思います。

私はやっぱりエモーショナルなタカに対し冷酷なハトって戦略つまり感情に対し理論ってのは
結局、すり替えに過ぎないんじゃないか?って思う*1
朝生とか見てても全然議論がかみ合わなくて何の話?って思って寝ちゃうことあるけど
そういうズラしは論争においては結局ダメだと思う。
エモーショナルに対してはより上のエモーショナルで叩き潰さないと。

華氏911論争みたいのもそうなんですよね。
前の岡田さんにしても宮台さんにしても論理で潰そうとするんですけど
結局ムーアを支持してる部分って論理の部分よりエモーショナルな部分への共感だと思うんですよね。本気で潰すんならエモーショナルの部分を突かないと「逃げだろ」って思います。

その構造はまんまゴー宣にしてもそうで。
結局どんだけ学者が戦争論を批判してもそれが理にかなってても小林さんが言う
「ワシがじっちゃん達の名誉を守る」ってエモーションとあの絵には勝てないわけですよね。
結局ゴー宣を何だかんだで嫌いになれないのは、その人情の部分が大きいかなぁと思う。

あと朝生に出てる宮台さんと小林さんを較べるとわかるんですけど、小林さんの方が余裕ありますよね。まぁ間の抜けた声のせいもあるかもしれないけど、たまにくだらないこと言うし(笑)
あれ見て、あぁ現実の小林さんは違うんだって思って、実はマンガの小林さんより見てて安心したりします。あの人が話はじめるといい空気になるんですよね。
逆に宮台さんはどうにも余裕がないというか早口だし人の意見に割って入るし理論で話してるなぁって感じが伝わってきてしまう。
この差は結構大きいなぁって気がする。

もしかして私が書いてるようなことは全然ピンとこない人も多いかもしれない。

言論やネットって言葉の世界だしより辻褄の合った理論の方が正しいって世界で感情的な意見とかって低く見られるでしょ。まぁあんまり感情むき出しの意見とかは私も馬鹿と思うけど。
でもここのトコがわかってないといつまでたっても「理論的には正しいけど何かムカつく」って
思われますよ。後々のアリバイのために言ってるんなら別ですけど宮台さんはロビー活動とかしてるわけですよね。だったらマズイんじゃないか?って気がする。
いや私も好きなんですよ宮台さん。本もいっぱい持ってるし。だから尚更思います。

ついでにブッシュにもそうなんですよね。
何であんだけアホとかマヌケとか散々いわれてみんなが馬鹿と思ってるブッシュが支持されてるか?って考えると結局アメリカ人はアホでマヌケなブッシュが好きなんじゃないか?って感じで
もしくはインテリ層への反発みたいのが逆にブッシュ支持に向かってるなら最悪だなぁ
と思う。
そしてアホでマヌケな分だけエモーショナルな力があるというか。

華氏911もだから前半からのブッシュのアホな部分とか石油企業との癒着とかも論理の部分なんですよね。まぁユーモアがある分マシなんだけど。
だからあれ自体はそんなに効果ないのかなぁって少し思う。
もし効果あるなら政策の杜撰さの指摘と治安が悪化してるってトコかなぁ
あと雇用不安とか。
マスコミには効くと思いますけど。もしかしたらあれだけで一本作った方がいい気もする。

でも後半のイラクの現状とかライラ婦人のトコとかはエモーショナルな部分で来るんですよね。
人情の部分を刺激されるというか。
よく言われるけどあそこを論破できないなら反対派の人は勝ててないと思う。

結局9・11のテロへの怒り=エモーションがスライドさせられて気付いたらイラク戦争になってたわけですよね。それに対し「ムーアはすり替えだろ、ちゃんとテロ対策しろ」って言ってるわけで。
その意見に保守派の人が同調するってことは無いんだろうか?

しっかしムーアが辛いのはブッシュを当選させないためにはケリーを支持しないといけないわけですよね。私はブッシュ対ムーアならムーアの方がエモーションや華があると思うけど。
ブッシュ対ケリーだとブッシュの方が華があるって意見はわかる気がする。

あとどっちが勝っても大してアメリカの戦略は変わんないから無駄なんだって意見があって
それが一番辛辣かも。
でも「だから何もするな」ってのは違うと思うんですよね。それは正しいかも知れないけど
何か人情の面でムカつく。
せめて華氏911の影響でアメリカのマスコミの権力の監視がちゃんと機能するようになればなぁと思う。

追記・結局日本人のモラルとかの基盤って「人情」だったのかなぁって思うトコがある。
いわゆる寅さん的な「それを言っちゃあおしまいよ」って奴で。あとは「お天道様に申し訳ない」みたいな
それはまぁ日本的な場の空気とか世間様でもあるんだけど、それが良識の基盤として支えてたって部分はそうとうあった気がする。
ついでにいうとそれは貧乏とセットで、貧乏の克服と共に人情も効きが悪くなって
その代わり「愛」とか「豊かさ」みたいのが入ってくるようになった。
マンガで言うと梶原一騎の劇画からラブコメへって流れで。
何かラブコメでもハーレムマンガみたいのあるじゃないですか。「ラブひな」とか「天地無用」とか、あれって男が中心にいて女の子いっぱいって構図なんだけど結局男の子が誰も選ばないでグルグル回って気付いたら擬似家族みたいになるってパターンが多いの見てると。オトコノコがラブコメに求めてるものって恋愛とかセックスじゃなくて、かつてあった人情の代理みたいなものなんじゃないか?って思う。
本当に恋愛そのものを描こうとしたらもっと別のものになりますよね。
人情は場を中和する力があるんですけど愛は過剰なエネルギーだから安定しないんですよね。
まぁこれは私の主観なんですけど。

岡崎京子さんのマンガとかは失われた、あるいは私たちがうっとうしいから捨てた人情の代わりに「愛」と「消費」を持ち込もうとして破綻したって感じがどうしてもするんですよね。
まぁ私はその破綻に共感するトコもあるんですけど。
90年代の作品とかは人情なしで何処までやれるか?っていう実験だったのかもしれない。
まぁ人情ってのはみんな同じ考えを共有してるって前提があって成り立つから、隣りの人が私と違う人って思った瞬間機能しなくなるんですけどね。
だから昔なら「別にエンコーしたっていいじゃん私の勝手でしょ」とか「何で人を殺していけないの」みたいな問いには人情で対応できたんですけど、それができなくなって。
もしくは硬直した人情しか大人が提示できなかったってことですかね。
そういうトコに宮台さんとか鶴見済さんみたいな言葉*2が出てきて、一方でゴー宣みたいな笑いとエンターテイメントを交えた鍛えられた人情みたいなのが出てきたというか。
で今はどうか?っていうと人情の代わりにいろいろ試したけど、どれもイマイチ効きが悪いというか効いても効果が切れるのも早いというか。
耐性ができて効かない薬が増えて困ってます。
って感じでしょうか。でも何かもう一回人情に戻るのかなぁって気もする。
ネオ人情といか。うわぁダサッ(笑)
ってことを今日、井上三太さんの東京トライブ2を立ち読みしてたら思いました。
井上三太さんは結構良いトコに行ったなぁ。


ジャンヌダルク
作品的にはどうか?は別に政治的には正しいと思う。
そりゃ、あんな女の言うコトまともに聞いてたら国が滅ぶよなぁ。
あと神の啓示を個人の妄想に落としてく過程が結構えぐいなぁと思う。
もしかしてパッションってこんな感じなのかな?
後半のジャンヌが追い詰められる過程をサデイスティックに楽しむ映画というか。

*1:すり替えとか論点ずらしとか負けたふりをするんならまた別だけど

*2:社会学とか行動心理学的な言葉というか理論っていうのかな?