ファイナルファンタジー見てるけど、CGって普通の3倍くらい眼が疲れる。
昨日のサクラ大戦の時も思ったけど、例えばミサイルがいっぱい飛んだり飛行機
が飛ぶシーンでもCGには映像の快楽がないんですよね。
得に王立宇宙軍の飛行機のシーンとかがすごく気持ちよかっただけにその差が気になります
これって私だけなんだろうか?
思うに人間の眼が添えられる情報量がCGだと多すぎるんじゃないだろうか?
何か粒子の塊みてるみたいな感じなのかもしれない。
対してセル画ってのは線と面を追うから眼の負担が少なく、かつスピード感もあるのかも?
この辺、研究してる学者とかいないのかな?

ボーダーの復刻版を一巻だけ読んだけど、良くも悪くも80年代的だなぁと逆に思った。
もっというとジブリ鈴木敏夫さんが黒澤明は80年代に入ってからファンタジーとしての貧乏
を描くようになった。と言ってたけど、ボーダーについてもそれが言えると思う。
そしてそのファンタジー、モラトリアムとしての貧乏を支えてるのがバブルの豊かさ。
結局、この作品の蜂須賀たちって、当時のバブルの風潮を否定してるようで、その享楽
はしっかり楽しんでるんですよね。やたら女にモテるし。
そんなに否定するなら田舎で自活しろって感じしました。
まぁ続き読んだら印象かわるかもしれないけど。
ちなみにボーダーって1987年から始まっててほとんど王立宇宙軍と同時期。
でも王立〜には逆にモラトリアムというか国のお金で宇宙に行こうとしてることに後ろめたさ
(多分アニメを作ってる後ろめたさと=)があって、一方で失業者が街に溢れてる描写とかあってほとんど動機付けを失ってるのに、でも!
って感じの葛藤がある。

まぁどっちも今見ると甘いなぁって気はしないでもない。
例えばボーダーと古谷実さんの「僕といっしょ」とか「ヒミズ」を較べたら、もう殺伐の度合い
が全然ちがう。
あちら側とこちら側とか言ってる余裕なくて、いつの間にか普通だと思ってた日常が冗談みたいに
簡単にひっくり返る。今いる場所が不安定で荒涼としてる感じと較べると
同じ日本か?とすら思う。
東京ラブストーリーとかなら割り切れるんだけど、ボーダーとか大友さんの短編とか
だとその差がやけに際立つなぁと思った。
正直、マンガ夜話で盛り上がるほどの作品か?とすら思う。
多分当時の世相込みで読むものなんだろうなぁ。
大衆蔑視というか、その甘い部分が鼻についた。
多分ボーダーはハードボイルドで、今はノワールなんだろうな。