自己愛の化け物 「私を殺して」

図書新聞吉田司さんと吉岡忍さんの対談「9・11後の性と生」がやたら面白かったので購入
いっしょに金原ひとみのアッシュべイビーと高崎真規子の「少女たちはなぜHを急ぐのか」*1も購入。

図書新聞の対談で吉田司さんは今の子を男女ともに「自己愛の化け物」って定義をしてて、この言葉がものすごく気になった。
多分私がここ最近考えてるようなことはその辺りかなぁと思う。
自分以上に好きな人やモノをもっている人はどのくらいいるのだろうか?
自己愛を満たすためのものではなく。
↑で紹介してる本に登場するような女の子の不幸さってその「自己愛」*2を満たすための相手が簡単に見つかることだなぁと思う。モテるのも考えものだ(笑)

結局、資本主義の行き着く果てはここか?ってのと恋人とか家族とか性が人間関係を繋ぎとめる手段として耐用年数がとっくに切れてて消費財かしてるのかも?とか思った。
そういう流動性が過剰で、体験とか知識とかが常にリセットされてく世界になった時*3どうやって人間は生きてくのかなぁ?とか考える。
吉田司さんはアッシュベイビーから「私を殺して」っていう台詞を引く。
私の読んだ感じだと、この作品に出てくる村野さんって全然人格を感じない。
桐野さんの作品の男が何か嘘っぽいなぁって思うのと似てる。
最近の女優はみんな幽霊に見える*4って言い方を鈴木敏夫さんは対談で話してたけど、女にとっての綾波みたいな存在が村野とか桐野さんが書く男像なんではないだろうか?
それは言うなれば自己愛を満たす鏡。
多分私を殺してってのは私の自意識と自己愛を消してってことだろうと思う。
私以上に好きになれる存在を求めてるというか。
金原ひとみは、あと2,3作書いたら結構すごいトコにいくような気がする。
女、舞城みたいな感じがある。
アッシュベイビーはまだ半端な感じだけど。

多分、何もかもが不安定で流動的な時代が来たとして最後に残る
一番確かでリアルなものって「死」なんじゃないだろうか?
「死」が神さまであり唯一絶対のものであるみたいな。*5という考えに一度とり憑かれたことがある。
実はまだ結論が出てなくて、怖いから考えないようにしてるけど(笑)
まぁできることなら「死」以上に確かなものか、「確かなものなんて無くても平気」
って言える強さが欲しいなぁと思う。
あぁ怖くなってきた。
考えんのヤメヤメ。
でもこの対談自体はオススメです。

*1:タイトル見た時は死んでも読みたくないと思ったけど

*2:多分正確には自己愛はあるけど自己評価は低いというか自信はなくて、だから、その自己評価を満たすための手段として他者に求められること=セックスという図式。ただここで確認できたとしてもそれは常に一過性で絶えず確認し続けなければならなくなりそれが自己嫌悪につながり自己愛は満たされない。このループが書けるだけでもちょっと金原ひとみを見直した。できればその先も見たかったけど

*3:というか一部の人はそういう世界に生きている

*4:多分元を辿ると綾波レイにいく気がする

*5:多分、岡崎京子のリバーズエッジの死体ってそういう意味だ