エヴァとキューブリック 

夏はエヴァだねぇ(カヲル君風)
ってわけじゃないけど最近は新しいものを見たいって気分が全然起きなくて
映画もドラマも観てないし暑いから出かけてないし新しいCDも買ってなくて
読んでる本はファウスト映画秘宝だけって日々なんですけど。

もう完璧退行状態です。
そんなわけで何年かぶりにLDで(笑)劇場版エヴァをまとめて見てるんですけど
いやぁ染みるね心に、リアルタイムで見るよりグサグサくる。
あと何年かすればミサトやリツコと同じ歳になるけど、ちょっと凹むわ(笑)

あと今まとめてキューブリックの映画も見直してるんですけど、何て言うかこの人の映画って完璧って印象と一番大事な中心がないって印象が同時にあるんですよね。
その中心ってのは多分作家が信じてるイデアとでもいうんですか?
町山さんの本によるとキューブリック無神論者だったっていうけど、神様を信じてない人が作った映画って感じはする。

この「神様」って部分は人によって変化して、例えば「愛」だったり「国家」だったり「友達」だったり「法律」だったりするんですけど、良くも悪くもそういうものを入れないと映画というか物語にならないんですよね。それがあるから主人公の行動にある種の正当性が生まれる。

キューブリックはソレを映画に持ち込まないから例えば戦争シーンを描くと露骨に暴力性が出るんですよね。例えば戦いがあるなら勝つのは常に強い奴で、どんな理想を持ってても正しい動機をもってても負ける奴は負ける。
そういう露骨な「力」を描いてるなぁって気がした。

多分他のジャンルだと西部劇だとサム・ペキンパーで時代劇だと黒澤明
(多分ヤクザ映画だと「仁義なき戦い」かな?)
そしてロボットアニメだと庵野秀明エヴァなんだと思う。
特に劇場版の暴力性はすごいなぁ
こういう映画を見ると本質って言葉が頭に浮かぶ。
健康な時は見るの嫌なんだけど、調子悪い時はいいね(笑)
「もう浮ついた嘘には付き合いたくないの」
って感じです今は。
結局さぁ後のエヴァエピゴーネンがどうしてエヴァ越えを果たせなかったかというと
当時の庵野監督ほど「本質」に迫れなかったってことですよね。
まぁ「本質」とまともに対峙したらヤバいんですけどね。
愛と幻想の〜のゼロになっちゃう。
だからみんな手頃なATフィールドもとい幻想でガードして生きてて
いつの間にか幻想が当たり前だって勘違いしちゃう。
まぁソレはソレで幸せなんですけどね。
あぁ羨ましい(泣)

で、劇場版エヴァの感想
っていうか作品によって照射された私のカルテ(笑)
しょうがないでしょ。やっぱエヴァってそういう風に見ないと面白くないし。
全体を見てて思うのはシンジ君の失敗(というか登場人物全員に当てはまるんだけど)
って他人に自分の評価を求めたことに尽きるなぁと思う。
みんな客観的に見ればすごいエリートなのに満足してなくて、常に自分を褒めてくれる人評価してくれる人を求めてる。
冒頭にシンジ君が言う「またいつものように僕のことをバカにしてよ」ってのも、ある種そうで、褒めようが罵倒しようが、とにかく他人からの言葉でしか自分を確認できない。
この不幸さを感じるなぁ。

そう考えると、死に間際のミサトの行動がどうしてシンジ君の心を動かさなかったのかがよくわかるなぁって言うか今回やっとわかった。
あの演説特に「今の自分が絶対じゃないわ〜中略 でもそのたびに前に進めた気がする」ってトコは私にとってアスカが復活するシーンと共に二大ウルウルシーンなんだけど。
あの台詞はシンジ君のために言ったんじゃないんですよね。だから「これでよかったんだよね加持君」なわけだし。
その辺りに暗に気づいてたからダメなまんまだったんだぁと思った。

面白いのは映画版の人間関係って見事に拒絶の連続なんですよね。
ある種、拒絶の物語ともいえるなぁと思う。
シンジ君はミサトを拒絶しゲンドウはリツコを拒絶してそのゲンドウはレイに拒絶されて
(もっと細かく辿ると日向くんはミサトさんにやんわり拒絶されてるし)
まるで拒絶こそ人間関係の本質と言わんばかりで。
その拒絶の数珠繋ぎを力技で文字通り補完しようとしたけど、それもシンジ君に拒絶される。
当時なんでシンジ君素直に補完されないんだろう?
それが望みなんじゃないの?って思ってイマイチわかんなかったけど、アレはそれくらい自分を自意識を持ってるってことですよね。
自分のことなんて大嫌いなのに大嫌いな自分を過剰に意識してる不幸さ。
そしてその不幸さゆえに常に生き残ってしまうってのはアスカも含めて
人間ってのはホント悲しいね(カヲル君風)


あと、よくエヴァってオタクの問題を扱ったって言われるけど今回みててそうかな?って思った。
少なくともシンジ君ってオタクじゃないよなぁ。
私が思うにオタクってのは自己完結できる人のことで他人の評価を求める人はオタクじゃないと思う。むしろ他者性がない人がオタクで真っ先に補完されちゃうでしょ。萌え〜って。
思うにATフィールドってのは趣味とかファッションの暗喩ですよね。
武器にもバリアーにもなるし。
そう考えると私にとってゴスロリちゃんとかオタクって同類なんですよね。
結局、人類全体をフォローできる大きな幻想、国家とか宗教とかがなくなったから
ファッションとかアニメの知識でATフィールド張って
同じパターンの人だけシンクロして。

だから結論としてはシンジ君は他人を当てにしちゃダメだよ。
まず自分が強く*1なんなきゃとか思って見てました。
でもたとえ強くなったとして
強くなったから寄ってくるような人は
私の強い部分あるいは綺麗な部分しか見てなくて、
弱い部分、醜い部分を見せたら離れてしまう。
本当の私の姿はそっちなのに
そもそも弱い部分を愛してくれない人といて癒されるの?
そりゃ中には弱い部分をこそ求めてくる人もそりゃいたわ。
もっと素直になっていいよ。って
でもね私は知ってるんだ。
そういう人は自分に自信がないから
私の弱い部分を見て慰めることで安心しようって思ってるんだって、
だってその瞬間だけは自分に価値があると思えるからね。
そして私にもそういう気持ちはあったりするし
そして最後はいつも裏切られるんだ。
だから強くなるの誰にも頼らず一人で生きられるように
でも、そこで自己完結して閉じちゃうと別の意味でダメになる。
それに寂しいし。
でも寂しさを他人で埋めちゃう
それじゃダメ
だからガマン。
でも寂しい。
ってそれの繰り返しですね。
え?何がって?
そんなのわかるでしょ。

最後にあの終わり方なんですけど。
冒頭の「またバカにしてよ」
に対して「気持ち悪い」なら
うまく繋がってるじゃん。ハッピーハッピーとか思いました。
シンジ君にとってうわべだけの言葉で曖昧にごまかされる方が嫌なんだから
正面きってバカにしてくれるアスカを選ぶのはよく解るなぁとか思います。
まぁ彼は本来自分で何か考えて行動するタイプの男の子じゃないんですよね。
ご主人さまを常に求めてるというか。
だからアスカがご主人さまになってくれるんならそれでOkな気も。
って上で書いたことと矛盾しますね。
まぁ私としては人が依存してくるのはいいと思うんですよね。
ただ自分が人に依存するのはキツイというかそれがいつまで持つのかって考えたら
あんま持たないし、その都度新しいご主人さま探してたらキリないなぁって思いますからね。

それにしても前にも書いたけどアスカは優しいなぁって思います。
わざわざ「気持ち悪い」って言ってあげるんだから。
参考→http://d.hatena.ne.jp/narko/20040215#p1

とまぁ久々に観たエヴァの感想でした。
テレビ版のラストも観ようかなぁ
でも別の意味でゲンナリしそうだなぁ。
やっぱ劇場版のラストの方がいいなぁと私は思います。

終劇。

*1:ここでいう強さの定義はいろいろです。社会的成功、お金、美貌etc