歴史は破産するまで終わらないゲームだ


ここ数日の町山智浩さんの書いてることは
圧倒的に正しいし、しかも面白い。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/
でもそれが正しいってことを証明することは建前上すごく難しいし
それを口にした瞬間バカだと思われる。
コメント欄でも共感うる人と反発する人が二分してて、反発する人の言い分
ってようするに「あなたは資本主義を否定するマルクス主義者か?」
っていう問いで、それに対して町山さんもうまく答えられていないと
思う。

今ベルバラ読んでてちょっとあなどってたなぁって思ってるんだけど
結局、この頃の貴族社会と今ってどんくらい違うんだろうって考えてしまう。
時代が違うのに問題意識が今なんだよなぁ。
負け犬論争とオスカルの悩みは似てるし、ルイ16世はオタクだし
個人的に好きなのはロザリーの姉のジャンヌ。
アニメ版の方がカッコイイんだけど、バトルロワイヤルの相馬光子
みたいでいい。

さて、いきなり話は飛ぶけど。
民主主義もしくは資本主義*1ってのは革命が起きないという意味では最高のルールだと思う。
ここで私はルールと書いたけど、〜主義ってのは社会という
ゲームのルールで、そのルールが理不尽なほど、その制度はもたない。
革命ってのはつまりルールの全否定。

資本主義が絶妙なのは
「自分がゲームに勝てないのは自分の努力が足りないため」
つまりうまくいかなかったり成功しないのは自分が悪いからだ。
と思わせることに成功したからだ。
勉強できないのは自分が勉強しないから。
お金がないのは自分が働かないから。
モテないのはetc
例えばそれ以外のこと小説家になれない小説が売れない
ミュージシャンになれない、売れないとかは才能がないから。

最近自己責任って言葉が話題になったけど、今の社会ってのは
いろんな局面で自己責任を要求する。
だったら「年金も自己責任でいいじゃん、払わないで将来困るのは私だし」
って皮肉を言いたくなるけど、どうやら国民年金は将来もらうためでなく
今いる老人たちに支払うための世代間の助け合いの制度らしい。
う〜ん、そう言われると理解できるけど、だったら消費税みたいな形で
とってくれないかなぁ。強制なのに申告しないといけないってのは
おかしいッス。というのは余談ですけど。

とにかくこの「悪いのは自分だ」@碇シンジ
と思わせる自己責任の枠組みが見事で、その制度を疑うようなことを
書いたり言うとまるで自分の怠惰をたなにあげて愚痴を言ってるんじゃない
って思われるし、私もつい思ってしまう。

多分この制度自体は良くも悪くもなく、何というか
「労力」に応じた配分の比率が不均等なんだろうと思う。
町山さんが書くようにマンガ家やアニメーターのような具体的な作業をする
ような人間より、それの流通、分配を行なう企業の方が儲かるみたいな。
企業の社員の方がクリエーターより儲けてる状況は搾取なんじゃないか?
ってのは勇気ある問いかけだなぁと思います。

で、この問いに対して世間ってのはでも「ルーカスはどうなんだ。宮崎駿はどうなんだ、自分の才能のなさを棚に上げるな」
と数少ない成功者の事例を出し反論する。
そしてやっかいなことにソレも又正論で一介の作家クリエーターがルーカスでも太宰でも庵野秀明でもいいけど、「なれる可能性」は0ではないのだ。
多分確率は低いけど、もしかしたらと思わせる。
それもその理由が才能という抽象的領域で。

そして実際に成功した人は世間から「おめでとうおめでとう*2」って
エヴァの最終回よろしく拍手されて、そっち側に行けると同時に
かつて同じ場所に居たクリエーターに対し努力が足りないと思い
まだ成功してないクリエーターは「あいつは成功したからああ言えるんだ」
とふてくされる。

ここでは本来連帯する可能性があった搾取される側が
努力して成功した人間と努力が足りない人間に分断されてマイノリティ内
にすら階層が生まれてお互いに憎しみあったりしてしまう。
それが今起きてる状況なのかなぁと町山さんの日記を読んでると思う。

つまり資本主義は階級社会なのか?ってことで
能力の結果下される階級は正統なのか?ってことで、
そして、その能力ってのはどこまで含まれるのか?
例えばスポーツ選手なら身体能力と頭脳がすべてでシンプルだけど
例えば親の資産とか税金の配当とかも、能力の要素になっている現状
は正統なのか?

昔、お正月に箱根駅伝見てた時、たしか2日かけて開催してて
一日目の順位のタイムの差が次の日のスタートする順番になってて
すごい不平等な感じを覚えたけど、それを不平等と言うのは難しい。
F1でも予選のタイムがいい人がポールポジションにつけるってのを
見てなんかつまんないなぁと思ったけど。
言ってみれば世の中は基本的に箱根駅伝みたいな感じで、最初の
タイムのいい人ほど有利であることは当たり前だと思う。
で、1回勝ちのサイクルに乗った人はヘマをやんない限りうまくいく。
そして乗り遅れた負け組の人は何とか一発逆転を狙ってリスクの高い
仕事についたり犯罪スレスレのことをしたり、あげくはテロに至ったり。

ベルばらの場合は貴族社会という目に見える構造が露骨にあったから
革命が起きたけど、今は目に見えない貴族社会で、しかも等の貴族ですら
自分が貴族という自覚がなく、ヘタをすると自分はマイノリティ
だと思ってしまう。

多分このルールの不均等がもっと具体化するまでは大きな変化がない
んだろうなぁ、できることはルールの穴を探すことくらいか。

最後に、こういうこと考えるくらいには自分は左翼よりの考えなんだろうなぁ
時期が時期ならマルクス主義者になったタイプの。
でも実はそんなにマルクス主義ってダメになったって気がしないんだよなぁ
不勉強だからそう思うのかもしれないけど。
一辺ちゃんと資本論を読みたいなぁ。
浅羽通明さんが昔宝島30で資本論の使える言葉特集をしてたけど
新書で「マルキシズム」って本出して欲しいなぁ。
自分で読んでもさっぱりわかんないし(泣)
多分ちゃんとした左翼思想ってのが無いのが今の問題なんだろうなぁ

何か自分のキャパを超えたこと書いてしまった。
とりあえず「ブス論」で書こうとしてることのメモと思ってくださいませ。
ってもったいぶるほどのもんじゃないんだけど。

補足
あと資本主義が巧妙なのは、基本的に絶対評価のような気がするからだ。
つまり社会資産のパイが有限ではなく無限で「あの人が儲かってる分、私は損してるって発想になりにくい」ようにできてる。
実際にどうなのか?絶対評価なのか相対評価なのか?は場所によって違うんだろうけど、これも「悪いのは自分だ」って発想にいきがちな理由な気がする。

それにしてもこういう内容を書いてると後ろ暗い気分になる。
「そんな愚痴言っても自分が損するだけだよ、もっと明るく、ポジティブに前向きに、じゃないともてないぞ」
うるさい!(私の心の声)。

*1:この二つを=で考えてもいいのかイマイチわかんないけど

*2:あそこでおめでとうって言われたくらいで自分の中のルサンチマンが解消されるのがあの最終回の限界だよな。抑圧してた人間とおめでとうって言う人間が実は同じだってのに、そう考えるとやっぱヘルタースケルターのりりこの方がわかるなぁ