俺と僕における異性に対するアプローチの違い

あと私がよく使う「俺」対「僕」の分類でいうと押井さんは明らかに俺系ですよね。身も蓋もない言い方をするなら
俺系の男の子が本質のトコで抱えてる「女なんていらねぇよ」って声が嫌ってほど聞こえてくる。
これがビューティフルドリーマーとかパトレイバーあと天使のたまごも加えていいかもしれないけど、女の子は他者として登場するわけわかんない存在で
それと関わる悪戦苦闘*1がそのままドラマになったんだけど、そのあたりイノセンスは完全に断念したのかな?
これは人狼なんかもっと明白ですよね。
あれのラストは要するに女か仕事どっちを選ぶ?って問いかけで主人公は
俺は仕事を取るってオチなんだろうけど。

異性に対するアプローチで「俺」系「僕」の違いははっきり出ますよ。
なんか少女を描くと生き生きするような人はまぁ僕系ですね。そういう人は
女の子と接すること理解者になることで自己を保とうとしていて
宮台真司さんとか中森明夫さんの仕事とか見てるとそう思います。
最近だと岩井俊二さんの「花とアリス」なんかそれっぽいなぁ
そういう人は根っこのトコで自分の男性性を否定したいというか隠蔽したいのね多分とちょっと毒を吐いたりして。
つまり俺系の人は「女なんていらねぇよ、もしくは母性かSEXか仕事のパートナー*2以外は求めないって感じ」
で僕系の人は「女の子の理解者になりたい、彼女たちの内面を理解してあげること*3こそ僕の使命だ」
みたいなトコがあるのかなぁとか思う。
どっちが正しいかは保留つーかわかんないけど。

http://a.hatena.ne.jp/narko/simple

*1:紅い眼鏡の世界を少女の看板が内包してる描写とか、実はイノセンスの素子とあの少女の位置って同じなんだけどイノセンスの場合は肯定的に描かれてる、この変化って何かな?

*2:例えば踊る大捜査線のすみれさんみたいな

*3:時に肉体も満たすこと