アイデン&ティティ追記

こちらに触発されましてアイデン&ティティについて再度書きますhttp://d.hatena.ne.jp/kurosawa31/20040213

とりあえず復帰嬉しいです。
あんま根つめないで続けてください。
あと「クラスの隅っこ」で文庫を読んでた身としては「クラスの隅っこ」にいた人間なりの言葉や表現がありますから、下手に人気者になってサクセスなんて考えないでそっちを追及しましょう。
それはそれで需要がありますので(笑)

で、アイデン&ティティに関しては以前書いたんですけど
http://d.hatena.ne.jp/narko/20031222
面白いくらい視線が違いますね(笑)
結構浅いトコで書いてたなぁ、書いた時はわりと満足してたんですけど。
あのダサさを武器にすればサブカルまだまだイケるぞ!とかあの会話いいなぁ
とか、そういうツールとして宮藤さんが脚本の映画って観てるので
ブルース・リーの映画みた後アチョーってやるみたいに。

だからkurosawa31さんが言うカウンターカルチャーゲーム(80年代の差異化ゲーム)ってのは視点がいかなかったです。
ただカウンターのカウンターという連鎖というよりは次から次にくる波にいかに乗り続けるか?という波乗りゲームに見えるんですよ、私には*1
もうそこには対立はなくて、例えばバンドブームが別のブームによって終わらされて消えたんなら、まだ救いがあるんですけど、見てる感じだと単にギョーカイと客が飽きて消費され捨てられたって感じですから。
その無責任さに中島は愚直に怒っててだからこそ

「この歌をロックを単なるブームとして扱ったバカどもに捧げる」
「ロックで金儲けしようとしたバカな大人たちに捧げる、自分のことをあんまり知らな過ぎるバカどもに捧げる、ロックを冒涜する、ミュージシャンもどきに捧げる」

なんだと思います。
ただ個人的にはその愚直に怒れる中島のオトコノコっぷりは今は愛憎半場で、過剰に波乗りゲームに適応してる岩本の方がキツイだろうなぁと思います。
彼は最初から多分ロックもバンドブームも信じてなくて、信じてないから自由に振舞えるんだけど、その分だけ絶望が深くなって。
私は彼の姿を岡崎京子さんの「ヘルタースケルター」のりりこに重ねてみてしまう。結局、中島は抵抗してる分だけ体制に甘えてるというか、ロックにもギョーカイにも幻想を持ってるわけで、ロックの幻想*2の中にい続けられる分だけ幸せなのかなぁと思う。
だからこの話はそのロックの幻想の中にいる中島と何も信じてない岩本の話を無責任でいいかげんな流行の波の上で演じてる話なのかなぁと今は思う。

あと彼女の描写については以前は触れなかったけど、あのコをやさしいとか男性に都合のいい存在とは思わない。多分彼女はかっことした自分があるからある種哀れみをもって中島と付き合ってる、聞こえよく言えば自立してるんだけど、悪くいうと最終的にはそんなに大事じゃないんだと思う。
だからあっさり留学しちゃうし。
むしろ平岩紙ちゃんやまんだらげの「声」ちゃんが演じたような、中島にパックンされたようなおっかけのコの方が中島を求めてるんだけど、肝心の中島は彼女たちをそういう風に見れないでウさばらしの相手にしか見てない。
心の安らぎは「彼女」に求めてて性欲はそういうコで満たす。
何だコレじゃあ、あんたの嫌う大人のオヤジと同じじゃない!というのは蛇足ですけど。
ちなみにパックンされちゃった女の子達が何を求めてたかの考察については以前こちらでしたので参照を。
http://narima01.hp.infoseek.co.jp/hyouronn/00nenndai/kisaraduboysbrabo-3.htm
気になるのはアイデン&ティティの感想いくつか読んだんですけど、中島と彼女については言及する人いるんですけど、パックンされちゃうコ達について言及する人っていないんですよね。みうらじゅんさんや田口トモロヲさんも含めて。あの描写ってすごいと思うのは私だけかなぁ。

あと昨日書いた「原っぱの論理」につなげると宮藤さんは一貫して今の「原っぱ」について書いてるのかなぁと思います。
ただ作品によってその出方は全然違ってそれは撮る監督によって変化するんですけど、アイデン&ティティってのはそれこそ大人が金儲けのために擬似的に作り出した「原っぱ」をホンキで信じて集まったオトコノコ達がブームが去ると共に忘れられた「原っぱ」に何とか止まろう。元に戻そうとあがく話なのかなぁと思います。そのあがきにグッとくるというか
これが池袋ウエストゲートパークだと子供が好き勝手やってた池袋という原っぱがやがて大人の思惑で潰されそうになる話で、
木更津キャッツアイやドラッグストアガールってのは寂れた町を大人も子供も混ざって街自体を自力で原っぱとして再生させた*3話なんだと思う。

だからアイデン&ティティってのはどっか80年代的な甘えみたいのが見える。だから年齢が上がって見るとそんな浮ついた波なんてすぐ去るだろうし、儲からないなら撤収するなんて当たり前だろ!っつい大人の視線になりがちだけど、多分その甘えを充分自覚した上であえて中島たちは抵抗してて、どんな形であれ生まれた以上は責任とるみたいな姿勢がカッコイイなぁ
といろいろ愛憎まじりますね。
ついでにいうとサブカルってのは今まで責任とらなかったんですよね。次から次に新しいもの、最先端のものに飛びついていくのがサブカルで、私はエヴァ以降オタク表現がサブカルより先行ってるなぁと思って、そっち追いかけてたんですけど、それはサブカルがオタク表現に較べて歴史の蓄積をしてなかったからで、それがここ数年歴史化*4されてきてやっと密度で対抗できるようになってきて、勝負はこれからだ!って感じです。
最後に結局アイデン&ティティは何を肯定してるのかというのはこういうことではないでしょうか

いいよねバンドの人たちは、いつまでもバカなことやっていられて、それってすごいことだと思ったよ。神様が君達に一生バカやれる権利を与えてくれたんだよ。それ君たちは大事にしなきゃ駄目だよ

               大槻ケンヂリンダリンダラバーソウルより

だから中島たちスピードウェイには一生降りないであがき続けてほしいなぁと思います。

追記、それにしてもkurosawa31さんの全体の構造を見渡す視線には唸らされます。私はああいう視線では書けないので、稚拙なりに地を這うような低い目線で書いていこうと思いました。以上教室の隅っこからでした(笑)。

*1:もしかしたら同じニュアンスで言葉が違うのかもしれませんが

*2:臭いといった方が適切かも

*3:ただし無自覚に、正直宮藤さんがこのことにどれだけ自覚的なのかよくわからない

*4:例えば「1980」とか