原っぱの論理

2月8日のコメント欄でaristocatさんが「おじゃましてます」と書いてくれた時、何だか新鮮な気分になったんですよ。
家に帰ったら友達が部屋でゲームしてたみたいな、ついでに料理も作ってくれててみたいな(笑)
はてなダイアリーとは何か?みたいな難しいことは別に考えようとは思わないけど、そういう友達の溜まり場になっちゃった一人暮らしのアパートみたいに利用していただけると嬉しいです。
もちろんそこでは議論する人もいるだろうし一人で延々と漫画読んでる人もいるだろうし、友達が連れてきたカッコイイ人と意気投合してこっそり抜け出しちゃう人もいたりしてね。
まぁネット上のことなのであくまで比喩ですが、今の私は多分、家族とか恋人よりもそういう場所に*1飢えてるのかなぁと時々考えます。
ついでに言うとそういう場所がどこかにあるから探そうって気はもうないんですよね。結局自分の居心地のいい場所は自分しか作れないし。自分だけが居心地のいい場所には他の人は近寄らないよってこともわかってきたし。
だから自分が居心地がよくて、その上かつ他の人にも楽しんでもらえる場所とというのが理想です、難しいんですけど。

というようなことを橋本治さんの「ぼくたちの近代史」いう本を久しぶりに読んだらつらつらと思ってしまいました。
最終章の「原っぱの論理」という項が好き*2で何度も読んでるのですが、昔部屋の中で失くしてずっと行方不明だったんですよ。
それが昨日ふと見つかって。
きっと今は読む時期だよってことですね。本と人間の関係ってたまにそういうことがあるものです。
ちょっと今「原っぱの論理」について説明してる時間は無いのですけど、わかりますよね多分。あれですよ基本は「大事なことは幼稚園の砂場で学んだ」と同じです多分。
多分入手するのは難しいと思いますけど古本屋等で探してみてください。
文庫が河出書房からでています。鉄人28号の表紙が目印です。

追記
やっぱ原っぱの論理について書いておきます。
と言っても公演録でしかも橋本さんの文章はくどいので引用してコレ!ってのがないので私なりの理解ですが。
当時、橋本治さんが小学生だった頃*3、当時は原っぱ=誰のものでもない*4土地がいっぱいあった。それは大人にとってみればなんの意味もない土地だけど、子供にとってみれば草の海。
そこに当時の小学生が集まってきて5年6年くらいのコが中心になってチャンバラやら何やらして遊ぼうよって話になって自然に役割分担ができていき、試行錯誤が繰り返されて遊びのパターンができていく。
例えばシャンバラごっこなら誰が悪人になるか善人になるか、女の子がいたならお姫さまやくノ一、お姫さまの腰元とか役割を考えて、その役割でチャンバラごっこをやってるとお姫さまがエイや!と悪人を斬ってしまい、その瞬間、剣豪のお姫さまが誕生してまた新しい「ごっこ」のルールが増えてく。

それでその原っぱにはみんなで行こうね!って言って行くんじゃなくて、時間のあるコが原っぱにいて、そこにまた別に時間が有る子が来て、その条件下でまた遊ぼうって感じになる。
そういう出入り自由で、その時いる人同士でなんかよろうよって感じになれる場所=原っぱでしょうか?説明するとたわいもないけど。
それで大幅にハショるとそこには性的なもの以外全部あって世の中ってこれでよかったんだって話で「原っぱ」があれば何とかなるんじゃないか?
ってなるんですね。
例えばコレを読んで今のネットとかコミケあるいはクラブがそうじゃないか?って思う人がいるかもしれませんが、私はちょと違うと思うんですよ。
やっぱりそういうトコは同質の人しか集まらない*5。橋本さんが言う「原っぱ」ってのはもっと異質な人間同士が出会えてしまう場とでもいいましょうか。
あとお金があんまかからない(笑)貧乏なら貧乏なりに楽しめる場所というか
だから橋本さんはコミケに対して不快だとはっきり言ってるんですよ。
あと原っぱは外部から完全に見えてるってのもありますよね。
閉じないコミュニティとでも言えばいいのでしょうか?
それにしても原っぱで遊んだって記憶はどの年代ぐらいまでリアリティがあるんですかね?私はギリギリあるから実感できるんですけど。

あと、この話は当時の橋本さんの思い出なんだけど、その原っぱを遠くでじっと見てるコがよくいて、それはだいたい女の子らしいんですけど。
そのぼーと見てるコに入るって聞いたら「うん」って言ったり「ううん」って言ったり、そして「うん」って言ったら、遊びのルールを教えてあげて、できないと「違うこうだよ」ってやって、そのコがあんまり幼くてめちゃくちゃだと、そのコのめちゃくちゃさを生かした別のルールで何かやろうぜ!ってなる。
ただ中には「入る?」って聞いても「ううん」って言ってそのくせ、ずーと見てるコがいる。気になるから「入る」って聞いても「ううん」
(橋本さんの話によると)それは必ず女ですごく強情な顔をしてる。
でだいたいそういうコは家でピアノを習ったりしてる近代教育を受けたコで家の価値観に閉じ込められてる。
で、ずーといるから「入らないなら行けバカヤロー」ってなってそのコも「入らない。だってお母さんがそんなことしちゃいけないもん」とか言って去って行く。
多分、今って↑のコみたいなコが結構いる気がするんですよ。
しかもそのまま大人になっちゃってある日突然ヤバイって思っちゃう優等生タイプというか、すいかの小林聡美がそうなんですけど。
もしくは上で書いたみたいな同質*6の人間だけで固まってそのまま年をとるような。
まぁ後者の人たちがその状況に満足してれば別に問題ないんですけど、前者のタイプはどんどん辛くなりますよね。って私も他人事じゃないんですけど。
多分、昔はそういう「原っぱ」は大人になると卒業していく場所で大人になったら会社とか家族に属す自分になれば何とかなったんだと思うんですよ。
でも今はどっちも流動的な永遠のものではないし、それゆえそれを維持するための負荷もかかりやすくなってる。と私は思うんですよね。
何か家族や恋人や友人とは別に「原っぱ」みたいな場所、それもできるだけオープンで多用な人が集まる場所を年をとっても、もち続けられたらなぁと最近特に思います。

*1:できればリアルな場所としても欲しいなぁ

*2:公演録なんですけど最後に橋本さん泣いちゃいます。いやぁここまで自分語りをエンターティメント化できるのって素晴らしいなぁ

*3:おそらく昭和三〇年代

*4:正確には誰かの土地かもしれないけど

*5:その場所の時間がたち歴史をもつほどそういう傾向になってしまう

*6:学生時代の頃の同級生だったり、おたく仲間だったり