「グロテスク」を読んでから「OUT」を文庫で上下読んだら、こっちの方が圧倒的に面白くて、グロテスクの印象がかすんでしまった。

まぁあくまで好みの問題なんだけど、グロテスクにはどうも緊張感がないというか弛緩した印象がある。

対して「OUT」は張り詰めた緊張感が最後まであって桐野さん特有の冷たい感じがよく出てる。

多分一番変わったのは「OUT」の雅子タイプの女いわゆる強い女像がグロテスクでは拡散してしまってもっと負の面を追及してしまってることだ。

私はこの変化を90年代後半から00年代への変化なのかなぁという気もする。

あと2002年公開された映画版「OUT」も観たんだけど、これも原作にあった張り詰めたような緊張感はなくて弛緩してる気がする*1

どこかで桐野さんがもってた雅子的な張り詰めた感じが通用しなくなってきたのか?それとも桐野さんの中で変化があったのだろうか?

何となくまだ読んでない「ダーク」と「玉蘭」がそれっぽいけど。

多分「柔らかい頬」でOUTの雅子と邦子は鏡像関係にあることを発見して桐野さんの中で一回融和して、そこから雅子像を解体した結果がリアルワールドのキラリン以外の三人なんだろうけど。

何か雅子的な強さに対する不信感というか限界を見据えてるのを感じる。

ただ男性の書き方はあんま変わってない気がする。

グロテスクの張とOUTの佐竹って同じ役割だもん。

桐野さんは小説の中の女が強いから男も強くしないといけないと、どこかで書いてたけど、そのためにどうしても男が無理やり感*2が出てしまう。

私は男女かまわず、内面的に強い人は弱い人を弱い人は強い人を求めてしまう気がするんだけどなぁ。

二人とも強いと疲れるし、弱いと共倒れだよって感じで。

今の高収入の女の人が陥る歪さって強い自分に見合う強さをもった男を捜してしまうトコ、本当は自分は強いのに強い自分を認めて引き受けられないトコにある気がする。ああいう人は相手にステータスを求めないでカワイイお婿さんにしてしまえばいいのではないだろうか?

もちろん、そうなったらカワイイお婿さんもちゃんと花婿修行して家事や料理を勉強しないといけないし、外見にも気を使わないといけないんだけど。

多分「きみはペット」ってのはその辺を追求したはずだったんだけど、ペットの男のコは実は王子さまだったってオチでちょっとなぁ。

何かちょっと話ずれたけど先に「OUT」の感想を書こうと思います。

*1:それ以前に出来に不満があるけどそれについては別で書きます

*2:いわゆる典型的なアウトローとか殺人鬼とかオタク表現が美少女を追及した結果メイドとかアンドロイドとか幽霊とかばっかになっちゃった感じ