ジャスコ文明論?

参照メモ
http://kantank.lolipop.jp/blosxom/blosxom.cgi/diary#mylife_and_jusco
http://d.hatena.ne.jp/solar/20040915#p1
カンタン系さんの言い方は極端だけど同意。

結局都市デザインとかそういうのにすごい疑念があって、文化ってのは、時間をかけて人が交わった結果の蓄積で、なるようにしかならないのかなぁと思う。
空気が悪かろうと飯がマズかろうと10年〜20年そこで生きてりゃ貧しかろうと文化なんですよね。
もちろん外野から「だからお前らは貧乏でも幸せなんだよ」って言われたらカチンと来るし
逆に「あなたたちは貧しい文化と風土で育って人間的に劣性だ」と言われてもカチンと来る。


最近よく考えるのはマンガ版「風の谷のナウシカ」のこと。
あれはエコロジー問題としてだけでなく、それこそ都市論みたいのにも応用が効くんじゃないかな。残念ながら誤読されやすいんだけど、ちゃんと読めば思想としてすごいトコに行ったなぁって思う。

宮崎駿はアニメ版のいつの日か綺麗に浄化された世界に導く少女の物語を何か違うんじゃないか?って思いながら十年かかってラストにたどり着いた時、結局、青き清浄の地では今生きている人間は住めないって結論にたどり着いた。
そしてナウシカは世界を浄化して人間そのものを作り変えようとする神?を旧世界を滅ぼした巨神兵の力で滅ぼす。ちなみに巨神兵ナウシカをママとしたい、ナウシカはオーマ(無垢)という名前を与えた。そのオーマの放つ毒の光でナウシカの肩にいつもいたキツネリスのテトは死んでしまう。そして腐海も蟲もいる空気の汚れた世界で生きてくことを選ぶ。
ナウシカをしたう人間の前ではいつか青き清浄の地に住めますよ。と嘘をつくことを引き受けて。

例えば今の郊外でもファスト風土でも確かに貧しいしドンキホーテとかブックオフとかマックとかマツモトキヨシとかは便利で安いけど入った後すごく荒涼とした気分になるけど、それも含めて今なんだよなぁと思う。もちろんそれだけしかない町は最悪だけど、たとえば商店街やら何やらが生き残るためにそれらを排除するような方向にいって結果出来上がったような匂いのある街ってのはそうとう胡散臭い。

第一もしそういう町が出来たら、それはつまり「ファスト風土化する日本」の第七章への違和感なんだけど、そういう町なり何なりができたとして真っ先に排除されるのって、やっぱ引きこもりとか無職でプラプラしてるプアジャパニーズな人々なんじゃなかろうか?
って気がするんですよね。
前も書いたけど朝仕事に行く途中、パチスロの前にいい若いもんが平日から行列作ってる風景見てゲンナリしたけど、そういう人をちゃんと第七章で書かれたような町は取り込めるのだろうか?

「あなたには幻にしか見えない街でもちゃんと生活して生きている人がいる。それともあなたにはその人たちも幻に見えるの?」
って感じの台詞をパトレイバー2のラストで南雲忍さんは言うけど、あの本に感じた疑念はそういうトコ。

よく言及する「クレヨンしんちゃん」映画版の「オトナ帝国の逆襲*1」で夕暮れの町っていう、70年代の町並みを再現した場所が出てくるんだけど、その町にはオトナしかいなくて、子供は今の記憶を消してからじゃないと入れないから置いてけぼりにされている。
つれてってやればいいじゃん、いい町ならって当時思ったけど
そういう排除の論理みたいのを、この本からも感じる。
でもそれは私の思い込みかもしれないなぁと思うので、どうにもうまく言葉にならないんだけど。
失われた十年って言葉があるけど、十年あれば文化も人間も確実に育ってて、それなりのものとして存在してるんじゃないかな。
それを無かったことにしましょうじゃなくて、それも含めて許容して更にローカルなものも残るようなトコじゃないとヤだなぁと思う。
「ヤだなぁ」としか言えないのが辛いんだけど。
でもうまくやってるトコはうまくやってんじゃないかなぁ。


と、実は最近文庫になった池袋ウエストゲートパークⅢの感想書こうと思ったんだけど、まだ半分しか読んでないのでまた今度。

*1:本題は長いので割愛