中途半端な70年代生まれ

このまったくもって絶望的な見通しの「自由という名の不自由な世界」のなかで、「なにひとつ自明でない」『NANA』のナナとハチは右往左往して生きているわけです。そして、このような矢沢あい作品を青春期に熱心に読んでいた層の先端が、そろそろ25歳くらいになろうとしているわけです。そのような世代に対して上の世代は鈍感すぎやしねーか、なんて僕はちょっと思ったりする今日この頃です。http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20040904

いやまったく
ちょっと被害者意識入ってるんで割り引いて読んでほしいんですけど
70年代生まれの日本人特に70年代後半生まれ*1って、いろんな意味で数だけ多い失敗作だったんじゃないか?って思う時あります。
もしかして、この層がガサっといなくなっても日本は機能するんじゃないか?って
所在というか根拠みたいなもんがまったくないまま生きてきてるなぁってのはよく思います。
まさに「自明なことがなにひとつない時代に生きる、なにひとつ自明でない私」で
それが80年代生まれだと覚悟が座ってて若いうちから試行錯誤できてると思うんですよね。
それが70年代生まれって中途半端にバブルの記憶もあってのほほんとしたまま20代になっちゃって
本来試行錯誤しないとイカンかったことに今になって直面してるというか。
20代後半の犯罪とか幼女連れ去り事件とか見てると悲しくなりますからね。
多分何も考えないで気付いたらやっちゃったって感じで。
しかもその犯罪もオリジナリティなくてしょぼくて
いや豪華ならいいってわけじゃないんだけど(笑)
スピッツの歌で
「僕らは希望の屑だから」って詩あったと思うけど、それを感じます。

NANA」を何だかんだ言いながら読んでるのは、その半端さから来る不安定な煮え切らない*2感じをとりあえず今は見せてくれるからなんですよね。あとは黒沢清さんが監督した「アカルイミライ」あの辺りに漂う不安定な感じって何だろうって思う。表面的にはそんなに問題ないのに。
例えばそういうことを解消する答えも山ほど用意されてるんですよね。
クスリとかナショナリズムとか宗教とか恋愛とか何とか
でも私たちに、もとい自分にとって大事なのはその不安を解消することじゃなくて、それをとことん見ることなんじゃないかなぁと思う。
下手の解消しようとするから不安が増加するというか
そしてできればその不安定な煮え切らない部分にこそ希望を見たいですけど私は、でもみんなズルズルとナショナリズムとか家族回帰みたいなトコに収まるのかなぁ?
できれば不安を解消するんじゃなくて、その曖昧で煮え切らない場所に耐えられる強さを身に着けたいけど、どうだか。

何も信じられないってことは何も信じない強さであってほしいけど
何も信じられないってコトに人はどれだけ耐えることができるのか?
などと考えながらビョークとか聞く日々です。
あぁまたここに戻るのか(笑)

*1:作家でいうと乙一さんや滝本竜彦さん女だと誰だろ?篠原一さんぐらいかな?初期の何作かしか読んでないけど

*2:宮藤さんや舞城さんの作品にもそれは感じるんだけど