エヴァ見てて気になったこと三つ

三世代の戦争観の問題

つまりゲンドウ、冬月、ユイ、(あとミサトの父親)の世代
とミサト。リツコ、加持、リツコのセカンドインパクト世代
そしてシンジ、アスカ、レイの世代

まぁゲンドウたちの世代は年代がバラバラなので保留だけどミサトたちセカンドインパクト世代ってのは庵野監督たち1960年代以降生まれってことで、もっというと親が戦争を知ってる世代
ってことなのかなぁと思う。
で彼らがエヴァの視聴者として想定してるシンジの世代って構造だと思う。
私の父親がたしか1945年生まれでいわゆる団塊の世代だから、ストレートな戦争の記憶ってのはない。ガイナックスの例えばトップをねらえ!見てても思うには、面白いけど戦争の真っ只中に入り込む感じって面白いけど違和感あるなぁって思う。
私の中にある戦争のイメージって例えば朝の連続テレビ小説とかで作られてるんですよね。
戦争がいつの間にか始まって食糧とかが配給性になって「贅沢は敵だ!」ってなって隣同士で監視
して軍人っていうと偉そうなオッサンで「貴様そんなことで最後まで戦えるか!」っていって鉄拳制裁されるみたいな感じ。
で最後は空襲で全部燃えて敗戦っていう。
今はそうでもないけど*1「朝の連続テレビ小説」ってそういう中で生きた女性の年代記を延々とやってるんですよね。その影響って多分そうとうあって、イデオロギーの問題ってより「しんどそう」って理由での戦争やだなぁ*2って反発がある。
あと集団行動を強制される反発というか、だから私が好きなというか10代くらいに好きだったヒーローもの、もしかしたらRPGとかの影響かもしれないけど、ヒーロー側って個人なんですよね。もしくは自立した個人の連帯、ジャンプ系のマンガとか。

それがガイナックスって全体戦じゃないですか。しかもそういう庶民の側って描かれない。
なんか文化祭感覚で戦争を描く違和感って楽しいけどあるんですよね。
そういう戦争の記憶ってものをちょっと考えたいかなぁとか思いました。

あとはコミュニケーションの問題
延々と繰り返される
「何故エヴァに乗るのか」って問い
それを掘りつめると「褒めてもらえる」とか他者評価の問題が延々と出てくる。
あと上の戦争の問題と繋がるけど動機が結局「自分の身を守るため」なんだっていう「後ろめたさ」しか出てこなくて、トップの時はギリギリごまかせたんだけど
エヴァってごまかしが効かなくなってるんでグチャグチャになってく

で、最後に「渚カヲル君」問題

まぁ加持とミサト、ユイとゲンドウでも多分構造は同じだと思うんですよね。
つまり他者による無条件の承認があった時の問題っていうか。
例えば少女マンガなら「そのままの君が好きだよ」で終われたんですよね。
それが例えば最近の「NANA」も含めて、そこからまた先があって
そういう「無条件の他者からの承認」が憧れや喜びであると同時に不安であり抑圧でもある。
だから多分、加持もユイもそしてカヲル君も死ななきゃなんないのかなぁと思う。

と、この三つが昨日フラフラになりながら見てて残った課題かなぁと思います。

と、とりあえずメモっときます。

*1:多分あぐりが最後?

*2:あとは手塚治虫アドルフに告ぐとかかな