# minori 『bakuhatugoroさんのところから来て、少し前から読んでました。
はじめましてm(_ _)mオタクの閉じこもりの話から私は同性愛の閉じこもりを思い浮かべました。
この間友人と二丁目に行ったんだけど、そこが私の想像以上に寂れてたんですね、土曜の夜だったのに。ゲイやレズビアンの出会いがネットで確保されたことや、今の若い世代ってゲイでもオシャレな子が多くて(ゲイ=ダサい、という意味でなく、オタクでもそうだけど、オシャレな方がマジョリティに認めらえやすいというか、見逃されると言うか)コンプレックスが強くなくて、そのうえカミングアウトしても受け入れられない可能性の方が低くなってきてることなんかが起因して、二丁目に行かなくても満足できるせいかなって思ったの。
でも、その満足とかカミングアウトしても受け入れられるっていう感覚もなんていうか「生温い」っていうか、「被差別者」であることが隠されてる気がするんですね。
在日韓国人への差別構造とかも似てるな、と私は思うんですね。日常では受け入れているようだけど、実際社会構造上では、法律上とか就職のとき差別されていても、ヘテロ社会や日本人は同性愛や在日へのシンパシーをリアルに思えなくて、結局助けになれなかったり。
それは閉じこもりと、先人たち(フェミニストなら田嶋陽子、ゲイならおすぎとピーコ、KABA.ちゃん、あたりのメディア上の有名人)が開いた道を「笑い」の方向にしか開いていけてない感が強いです。
それをシリアスな社会問題としてとらえられづらいというか。
それを「俺」対「僕」にスライドすると、「ユーモア」対「知性」でしょうか。そこら辺のバランスを取りながら語っていく、
それしかないのかなと今回もつくづく思いました。はてなでID持ってないのに、長々と書いてしまった…。』
http://d.hatena.ne.jp/narko/20040314

# ziprockers 『どもども。「ボーダー」は去年ネパールのポカラに行ったときに泊まったゲストハウスにボロボロになったものがそろっていたので読んだんですよー ネパール自体はカウンターカルチャー全盛期にヒッピーの聖地として栄えてて、アタシもカトマンドゥのフリークストリートとかいってみたかったんですけど、毛沢東派!!のテロやストライキがひどくて(ポカラについた日に旧市街でバスが爆破されて警官が二人殺されてた!ひえーっ)カトマンまではいけなかったです。特にストライキはお店が全部閉まってるし、バスもタクシーも動かない。ヒマだからガンジャやってマンガばっかり読んでて、そこに「ボーダー」があったんです。もちろんそこそこハマって読めたんですけど、やっぱり80年代初頭生まれのアタシとしては大江の「遅れてきた青年」じゃないけど、戦争も、カウンターカルチャー、おまけにバブルまでたいした記憶もないし、遅れなかったのはオウムと不況とNYテロくらい?歴史の貧乏くじ引かされたみたいでつらいなあ、と。いつになったら「見る前に跳ぶ」ことができるのか?やれやれ。
でも、ボーダーの面白さが有効だった80年代末っていうのは、たとえそれが豊かさに支えられたものであったとしても、まだ貧乏であったり、働かないでだらだら生きること(まさにだめ連)が世間一般に通用していたんだなあ、って、思う。それはやっぱり共産主義やヒッピー思想やアナーキズムが資本や労働に対して持っていた異議申し立ての力の仇花で、今はもう、そんなものさえなくなってしまった、と。「落ちこぼれであることの選民思想=ヒッピー」や「人生は終わってるんだけど、青春は終わってないんだ」って感覚はもう今じゃ通じない。落ちこぼれは落ちこぼれでしかなくて、人生終わってるヤツは青春も終わってる。キツーイ、世の中でしかない。なんとかこの世の中ならないですかネエ。ハア。』
http://d.hatena.ne.jp/narko/20040805

以前いただいて保留にしていたコメントです。

それにしてもid:ziprockersの日記すごく面白いです。こういう知識と経験がうまくリンクしててドライブ感のある文章読んでると素直に参りましたって気になります(笑)

多分お二人は同じような問題意識をもたれてると思うんですよね。
それは私も同じで別のトコで別のこと書いてるつもりでも気付いたら、このことを考えてるというか。

で、何というか、そういうつながり方もあるんじゃないか?って気がするんですよね。わかりやすくグループでまとまんなくても
似たような意識の人が少数でもいるのが嬉しいです。
まぁ簡単の答えは書けないのでとりあえずUPしておきます。
多分いろいろ書きながらいつも片隅で考えてると思います。