欲望史観 (斉藤美奈子著 モダンガール論から)

いわゆる近代史・女性史の本には、いろいろな立場がある。
たとえば「婦人解放運動の力で女はこんな進歩したのです」と胸を張る「進歩史観」に立つもの。こういう本は感動的だ。でも思う。女の人ってそんなに立派だったのかなぁ。
あるいは「性差別的な体制の下で女はこんなに虐げられてきたのです」と怒りをこめる「抑圧史観」に立つもの。こういう本も感動的だ。でも暗〜い気持ちになってくる。そうはいうけど、女の人って、みんなそんなにかわいそうだったの?
進歩史観や抑圧史観は、歴史を正義の味方の目でみる視点だ。
この本はあんまり正義の味方じゃない。この際、名前をつけておこう。欲望史観。うん、これがいい。リッチな暮らしがしたい、きれいなお洋服が着たいという目先の願望から、社会の中で正当に評価されたい、人生の成功者と呼ばれたいという大きな望みまで、人々の欲望が渦巻くところに歴史はできる。出世は男の子の専売特許だなんて思ったら大まちがい。女の子の出世願望だってすごかったんだから              モダンガール論12ページより

先に書いとくと今日は手抜きです。引用ばっかなんで
それにしても↑の引用ですけど、私これ読んで斉藤美奈子見直したね。
フェミニズムやあらゆるマイノリティ共同体が陥りがちな罠をうまくかわしてる。妊娠小説や紅一点論だとそれが男性側に対する糾弾ばっかりで惜しいなぁと思ってたけど、この本で評価が逆転しました。面白い。
更に言うとこの欲望史観ってすごい切れ味いいなぁと思う。
先日の女オタク論争(笑)にしてもそうだし
コメント欄で女おたくの何が知りたいの?って書いたけど
結局「欲望」でしょ。彼女たちがジャニーズだったり漫画の美少年に何を見てるかっていう。


誤解がないように、ちょっと話を広げるとココで言われてる欲望はかなり広い
目先のいい服が着たいおいしい料理が食べたいというものから
社会的に認められたい、良妻賢母になりたいまで

そして先々日の無垢の問題もそうだけど、正しいことをしたい、純粋でいたいってのも欲望だ。
ただ純粋さや正しさを求めた時点でそれはものすごく不純なんだけど(笑)

たとえば万人が同じように求める欲望ならみんな共有できるし理解できるけど
これが少人数にしか理解できない、あるいはその人本人しか理解できない欲望を抱いてたらそれは「〜おたく」と呼ばれるようになるんだと思う。
そして、そういう個人的な欲望は理解できないから「世間」は怖がる。
そしてその欲望の中には反社会的行為ももちろん含まれてて。
一番わかりやすいのはロリコン的なもので幼女に向かう性欲だ。

で、斉藤環さんとか東浩紀さんは、そういうオタク*1を何とか擁護*2しようとして、いろいろ言い訳してて、その論を更に彼等のフォローワーのネットで活躍する、評論オタクの方々が展開する構図があるんだけど。
もう認めちゃった方がいい気がするなぁ(笑)
そういう欲望があるってことを知った上でどうするか考えた方がはやい気がする。

ただその欲望にも質がある気がする。例えば「萌え」の対象になる少女、幼女の属性はいわゆるピュアなもの無垢なものが多い、映画秘宝とかだとチャーリーズエンジェルとかプレイボーイのグラビアみたいな方向に行くんだけど(笑)
だからいわゆる少女とか幼女の欲望が行く人はその外見や造型に向かうのか?
それとも観念としての少女とか幼女に向かうのか?
そこを整理するだけでも大分違うと思う*3

あと欲望の動機にも私は2種類あるような気がする。
つまり純粋に「欲しいものが欲しい」という物欲、言うなればプラスの欲望
もう一つは自分の中にある虚無感不安感があり、その穴を
とりあえず何かで埋め合わせしようというマイナスの欲望。

フロイト先生は前者をペニス的欲望、後者をヴァギナ的欲望と
言ってません(笑)
つーかフロイト読んだことないし。

で前者の方は好きにやって、犯罪に向かわない程度に。ってことなんだけど
問題は後者で、その場合いわゆる過食症と同じで、いくら食べても満たされない。私は文化の過食症としてのオタクってのがいると思ってる。
みんなとは言わないけど
悩み、不安と直接向き合わないと。まぁ簡単じゃないけど

で、問題なのは今の世の中ってのは自分が何の欲望を抱いてるのかが無自覚なまま行為だけが暴走して*4収集がつかなくなることが多い気がするんですよ。
欲望の方向性に無自覚な人が多い。
だからオタク論をもしやるなら、その欲望の質を検証せねばならないのでは?
というのが前回思ったことでした。

「汝、汝の欲望を見据えよ」です。 聖書より(多分)

もう一つモダンガール論から孫引きの大正時代の北澤秀一氏の論文より

モダーン・ガールは自覚もなければ意識もない。フェミニストの思想もなければ、サフラジェットの議論もない。彼等は唯だ人間として、欲するままゝに振舞うだけである。/一時代前の新しき女は、私達も早く覚醒しなければならぬ、私達はもう男の奴隷ではない、人間だと思って奮起した。然しモダーン・ガールは初めから男の奴隷だなどゝは思っていない。そして理屈も何の云わずに、男と同じラインへ出て一緒にあるいている

斉藤美奈子さんはこれ大正時代のアジテーションに思えます?
と問いかけてますけど。動物化ってことですよね要するに
いわゆるマイノリティの歴史って似た傾向を辿るのかなぁとか思いました。
固有名詞を変えると何にでも当てはめられます。

みんな何でも忘れてゆき
ただ欲望だけが変わらずありそこを通りすぎる
名前だけが変わっていった
岡崎京子著 ヘルタースケルター 309ページより

*1:正確にはおたく表現だけど

*2:一番使われるのがアニメのキャラは現実の幼女とは別で、彼等はあの画像に萌えてるんであって、いわゆるロリコン的欲望ではない。つまりアニメ絵の幼女は現実の代用品ではないって言い方だけど、そろそろ辛いなぁと思う。もしかしたらアニメの幼女の代用として現実の幼女に性欲が向かう可能性もそろそろあるだろうし

*3:って何で私は心配してんだか

*4:何せ欲望を煽り供給し続ける装置としての資本主義の発達の問題もあり、それについてはまた考えないといけないけど、それは偉い人にやって欲しい、私の頭じゃ無理