ルパン三世 カリオストロの城 監督・宮崎駿

テレビで見ました。
もう何回も見てて、10代の時は「甘ったるいなぁ」とか思ってたけど
元気ない時は効きます。

多分、宮崎駿監督の当時のナマの部分がモロに出てるんだろうなぁと
思う。ルパンはもちろん銭形にも次元にも、もしかしたらカリオストロ公にも年とっちゃった自分と向き合ってるというか、
ルパンってシリーズが進んでくと、もう年齢とか関係ない完全なフィクションになっちゃうけど、この辺りまでは年とってたんだなぁ
銭形は昭和一桁ですよ。娘の名前はトシコですよ。知ってました?

何て言うのかなぁ、正しいことしようと思った時、悪と戦おうと思った時に正攻法で正しい自分をアピールすれば伝わる、って思ってないんですよね。
ルパンは
ズルい奴と戦うにはこっちもズルくなんなくちゃいけなくて。
でも完全にズルくなっちゃうと相手と同じになっちゃう、そしたら戦う根拠は失うし、勝てない。
そこで出るのがクラリスのお姫さまっぷりなのかなぁって
自分はもうそこには戻れないけど、そのコの無垢さは守ってあげたい。
だから最後の名シーンがるわけだし、
ルパンは元の泥棒家業に戻ってく。
まぁコレが悪化すると千と千尋カオナシになっちゃうんだけど。
見てるとルパンも銭形も絶望して疲れてるんですよね。
その疲れてる感じと、それでも何とか正しいことを信じたい実行したい
って感じの二重の感じがいい奥行きだなぁっておもいます。
これが以降の宮崎駿作品になるとクラリス的な無垢が前面に出て、ルパンみたいな*1役割は裏に回っちゃって疲れた感じ=宮崎駿のナマの部分がどんどん隠蔽されちゃうんだけど、やっぱこれは順番が逆だと思うなぁ。
クラリスみたいな無垢は単体では成立しない。あくまでルパンみたいな汚れ役がいて成立するわけで、しかもほとんどの人はクラリスにはなれないし、なれたとしてもほとんど期間限定のもので。
多分なれるとしたら不二子ちゃんですよね。あぁ外見じゃないですよ。

あれですよね。サリンジャーライ麦畑のホールデン少年、あのラストと似てるなぁ。
無垢なものを守るために自分はズルくなる。
こういう形でしか正義感の発露ってのはできない気がします。
とりあえずアニメでそれが出来てるなぁと思うのは
パトレイバー後藤隊長カリオストロの城のルパンですね。
こういうの見ると単純に元気になります。

*1:例えばラピュタの海賊とか