原っぱを渇望する私

尾崎豊については、リアルタイムとそれ以降では、需要の在り方が全く違いま
すね。もっと言えば、岡村ちゃんと尾崎と吉川晃司が仲良しっていうのがはらっぱなんだよね(はらっぱから個室に行っちゃった連中が、そっちの文脈だけで岡村ちゃんを囲っちゃおうとしてるのが、俺はちょっと苛立たしいところ)。それ以降、線引きが細かく進んじゃったことに、それ以降をルーツとしつつもnarkoさんは気付かれはじめてるんじゃないかな。

二月十四日のbakuhatugoroさんのコメントから一部引用ですが
この文脈で言うと私は明らかに個室の側の人間なんだと思う。
だから私は id:bakuhatugoroさんの日記を読んでても私の何倍も奥行きのある視点の広い意見が書かれてる(年上でプロのライターの方なので当たり前だし、対抗できると思ってる時点で間違ってるんだけど)なぁと思いつつ、低い視点なりに自分が書けることを書かないといかんなぁと思ってるんですけど。
こういう時はメンドウだから自分語りしてしまう。
ウザい人は飛ばしてください。

例えば私は姉妹がいるんだけど、小学四年くらいから一人部屋をもらえた気がする。それで自分の部屋にラジオを置いて自分だけが聞きたいCDを買ったり、読みたい本を好きに読める自由?を与えられた。
多分大人になるということの一つに自分の自由にできるものが増えるということが含まれると思う。
記憶は曖昧だけど、自分用のテレビがお下がりで手に入ったのは高校の頃で
初めてビデオ録画を覚えて好き勝手録画してた。一時はテープが増えすぎて大変だった。
中学の頃は人付き合いが部活とかやってたから広かったんだけど、高校は家から遠いトコに行ったので、地元の友達とは少し疎遠だったし、高校はあんま趣味の合う友達もいなかったので、関心は内向きになり、勉強もスポーツもできなかったので、何とか回りと(無意識に)差異化したいという思いから趣味の充実へと向かったんだと思う。
これでライブハウスとかクラブとかに出入りしてりゃ、私も立派なストリートにたむろするギャルになれたんだろうけど、オシャレにも疎かった*1し、そもそもクラブカルチャーに簡単に高校生が接触できるほど当時情報が充実してたのか*2?よくわかんない。何となく怖かったし。
つまり私は耳年間な個室のサブカルちゃんで全然体験がともなってない。
電気グルーヴのコンサートも岡村ちゃんのコンサートも一回しか行ったことないし。映画は結構一人で行ってたけど。
だからよくコメントをくださるbakuhatugoroさんやid:TRiCKFiSHの松谷さんの意見を読んでいると、その意見に共感とか反発以前に「あぁ、ちゃんと自分の原っぱでこの人たちは若い時にコミュニケーションスキルをちゃんと磨いてきたんだなぁ」と思ってしまう。
これは批判ではないんだけど、私にはソレは泳げることが前提の人に「何で泳げないの?」って言われてるような感じがしてしまうんですよね。
橋本治さんの「わからないという方法」という本があって、そこにセーターの編み方についての本を書いた時のことが書いてあって、その本ではまずどこで毛糸を買うか?から書いたんですよね。それ見て編み物業界の人が何でウチでこれが作れないんだ!って思ったらしいけど。

そんな低いトコまで付き合えないよ!って言われたらそれまでなんですけど。その言い方では届かない人がいるんだよなぁとつい思ってしまいます。
じゃあ私の言葉が届くかというとわからないんですけど。

多分人間、若い頃の個室と原っぱの反復をすることで自分を創ってくんだろうけど、私はその大事な時期に個室に居過ぎた気がする*3
だからいい年して「原っぱが欲しい」という欲求をもつこと自体、ちゃんとした人間関係を築けなかった反映だし、大抵の私と同年代の人は若い頃に試行錯誤してとっくに終わった問題で何を今更?ってことなのかなぁと思う。

でも一方で私みたいな人が男女問わず多いのかなぁと最近思う。
多分↓の世代はあんま心配ない気がするんですよね。あえて80年代生まれって言うけど、綿矢さんの「蹴りたい背中」にしてもあれに10代で気付けたんならむしろ幸運だし。
あと大学生とかも場所の力でなんとかなるのかなぁ
げんしけん」とか羨ましくて腹たって読めないですからね(笑泣)
多分辛いのは私ぐらいの年まで気付かないまま来ちゃってるコで
で、そういう私みたいなコが焦って性急に原っぱを取り戻そうとする時につい引っかかっちゃうのが宗教だったり市民運動だったりマルチ商法とか東電OL事件の売春*4だったりするのが他人事でなく辛い。
何というかそういうコミュニケーションスキルが低いまま大人のふりしてるコ達が壊れる前にセーフティーネットとして機能する場所としての「原っぱ」が欲しいというのが正確な気持ちです。
それは多分あるにはあるんだと思うけど、近所のなんとか会とか、でもそういうトコはもう場が固定してるから、ある種の覚悟をもってお客さんとして入ってかないと行けないんですよね。これが年をとるほど垣根が高くて、ついでにそういう(私みたいな)コは自意識が強いから、そのスタート時点に立つ入り口でエネルギーを使ってしまう。
そもそも最初っからフットワークが軽かったら、そんな苦労しないわけで。
あぁ何か泣き言になってきた。
ちょと休憩。

*1:服に金使うくらいならマンガとか文庫買ってた。それに太ってたし

*2:多分住んでる場所にもよるんだろうけど、一応東京に住んでたけど

*3:じゃあ個室にいる時間を原っぱに費やした方々はどうなのか?そっちの人の気持ちは私はわからない

*4:関係ないけど桐野さんの「玉欄」が文庫になったので今読んでいます。この感じだと全作品読めそうなのでそれからグロテスクの感想は書こうかなぁと思ってます