ちょっと待って、神様 

まず作品紹介を
主演は宮崎あおい 泉ピン子 京本政樹
NHK総合で毎週月〜木 11時から15分間 金曜日深夜0時45分から1時間まとめて再放送されています。私は金曜日に見ました。
原作は大島弓子先生の「秋日子かく語りき」です

突然の交通事故で死後に世界の入り口に来てしまった。おばさんの竜子と女子高生の秋日子の前に神さまの使いが現れ、女子高生の秋日子にだけ「あなたは間違いだから戻ってよい」という、対しおばさんの竜子が何とか戻してほしいとゴネるから仕方なく秋日子(の了解をとり)の体を借りて一週間だけ地上に戻り家族に会いにいく、という話です。

脚本は浅野妙子さんで代表作は「ラブジェネレーション」と「神様もう少しだけ」でしょうか?
神様もう少しだけ」は98年夏の放送された「援助交際HIVに感染した女子高生の話」で、私は再放送で観てハマリました。
当時の感想でいうと、ベタベタで大味な難病もので何十年前の話だよ!と突っ込みたいんだけどHIVという実も蓋もなく洒落にならない不治の病*1を持ってきたせいで、シリアスから逃げられず目が話せないと言う感じで最後まで見てしまいました。
スゴイのは感染理由が援助交際*2だからヒロインに全く逃げ場がないんですよ。
それが普通の何病モノと違い悲劇に酔えない、酔う余裕がない。
イジメは起きるし家族は離婚するし、就職は落ちるしと不幸続きだけど、主人公はそれを引き受けて行くんですよね。その過程が何というかいいんですよ
全部壊れたからこその美しさとでもいいましょうか?
ラストはもちろん金城武と結ばれて子供*3を産み、結婚式の日に亡くなる。という展開です。

主演はデビュー間もない深田恭子さんで一話でパンツも観れるから見たい方はオススメです。

と、何故「神様もう少しだけ」の感想を書いたか?と申しますと、とりあえず一週間目を観た印象が似ていたからです*4

大島作品との比較

まず原作の「秋日子かく語りき」との最大の違いはヒロイン秋日子の性格ではないでしょうか?
今日久しぶりに読み返したのですけど。物語の視点は秋日子の友達の薬子なんですよね。秋日子自体の内面や人格描写は実はほとんどなく*5ほとんど唯一出る以前の秋日子の描写は薬子との交換日記の内容で、ただその内容も薬子から見れば「いつもつまらない霞を食う内容」で
見る人が見れば不思議ちゃん*6って定義するような子です。

それで、ドラマ版で繰り返し出る「おばさんは〜する」というモノローグはマンガ版では薬子のものなんですよ。
だからドラマの秋日子は薬子の位置に近く、おばさんを見る秋日子の目線の方が不思議ちゃんを心配する友達や家族の目線に近くなっている気がします。

個人的にはこの読み替えは成功している気がします。というのも大島作品をそのまま映像化するのは無理だと思ってたからです。
やっぱファッションセンスとかキャラの髪型、台詞回し、ちょっとスゴイですから、だから「金髪の草原」って見てないんですよ。イメージ違うなぁと思って、「毎日が夏休み」はわりと近かったけど。

あと実写にすると今まであの絵でごまかされていたフィルターが取れて生生しくなりますね。双方の家族の描写とかよかったです。
神様もう少しだけ」もはじめは一見うまくいってるようだけど心がバラバラの家族の描写から始まるのですけど、そういう描写が浅野妙子さんはうまいのかもしれません。「神様〜」でも大島作品でもいいのですけど、今はもしかしたら家族って壊れてからがスタート地点なのかなぁ*7とか思いました。

あと、この作品における「死」ってのは何なんですかね?
どうも大島さんの「死」の捕らえ方って他の人と違う気がします。
どっちかというと「忘却」に近い気がします。
「庭はみどり川はブルー」でも死んだ奥さんが家族を見守るために子供の体に憑依して見守ろうとしますけど、そこで直面してしまうのは家族が自分なしの生活に慣れ*8忘れていく姿です。
私は多分「忘却」が怖いんだと思います*9
忘れるのも忘れられるのも怖いんだと思います。
どんなに憎くても嫌いでも、私を好きだった人には覚えていて欲しいと思ったこともあります。*10

でも忘れること忘れられることに慣れていかないといけないんですよね。
きっとそれが生きていくってことなのよ!
なんちって*11

最後に役者さんがいいですね、特に宮崎あおいはうまいなぁって思います。
一話は地味と思ったけどおばさんが乗り移った演技はスゴイうまいわん。
ピン子に切り替わっる時の違和感がまったくないです。
なんか幅の広い女優さんです。
もちろんピン子も最高。
でも唯一大島キャラと化してる京本政樹が一番ツボです。

追記、今、大島さんの作品歴をちらほら見てるんですけど、どうも大島作品は「綿の国星」を間に挟んで変化してますよね。まぁ「綿の国星」自体が一年に二話とかそんくらいしか発表されてないんですけど。
で、これを前期後期*12
と別けるなら後期の第一作が87年の「秋日子かく語りき」なんではないでしょうか?
今日買った新装版「秋日子かく語りき」に大島さんによる作品解説が載ってるんですけど、秋日子に関しては「なんとなく元気が出てきた頃の作品」とコメントされてます。
まぁ掲載誌が「LaLa」から角川書店の「ASUKA」になったというのが一番分かりやすい変化ですけど、個人的にはこの時期から現在までの作品の方が読みやすいです*13。だから大島作品を読まれる方はそこから入ってロストハウスまで読んで初期の作品を読み最後に「綿の国星」に行くのがオススメです。
というか私が「綿の国星」だけ手をつけてないんですけどね。もったいなくて

*1:これが白血病とか癌ならまだ普通に見れたと思う

*2:ただし援助交際の理由は彼女が好きだった音楽プロデューサーのコンサートのチケットを買うため。そのコンサートに行けたため金城武演じるプロデューサーと一晩を共にし付き合うこととなる。このプロデューサーが又ベタベタな設定で現代人的な悩みを抱えてたりそのヒロインがプロデュースしてる女性ミュージシャンの名前がカヲルだったり、その変も含めていかにも90年代なんだけど

*3:HIV感染はしていない

*4:題名も似てますし

*5:ほとんどがおばさんの内面が宿った秋日子、それにしてもおばさん化した秋日子の描写が素晴らしい。不良に説教するトコとかお礼にチョコレートをあげるトコとか

*6:ただ大島ヒロインには不思議ちゃん特有の「私って変わってるっていわれるんだ」的な変わってる自分という自意識がない気がする。天然とうか無自覚というか、多分本人は自分が普通か変か?なんて考えたことないんじゃないか?とすら思う。逆にズレに敏感なのは彼女の友達や家族で一生懸命心配する。

*7:もしかしたら、これはすべてに当てはまる我々現代人の問題か?とか高尚に考えてみたりして

*8:表面上

*9:岡崎京子さんのヘルタースケルターもまたそういう話だと思いました。よく大島弓子岡崎京子の類似性や影響は指摘されるけど、私も資質がすごい近いと思う

*10:逆に言うと嫌いな人、どうでもいい人はとっとと忘れて欲しいですし忘れたいんですけど

*11:昨日読んだハッピィハウス風に

*12:本当は後期って言いたくないんだけど

*13:うまく言えないけど主人公の孤独にちゃんとした理由があるようになった気がする