カウンターポップカルチャー

町山智浩さんの「底抜け合衆国」とその町山さんが翻訳した「ブーンドックス」を読みながら
前に録画したサウスパーク第六シーズンの録画を見直す。
あと華氏911また見ようかなぁ
そんな日々を送ってます。

いろいろ感想書きたいけど、それより何より勇気が出る。
いろんな意味で戦ってるなぁと思う。
それもユーモアを武器に。
それを貧しいと思う人がいるのは知ってるし、多分教養のある方々はそういう毒のあるアメリカ的な表現を単純でブッシュ政権の裏返しにすぎないと言うだろうけど、こういうセンスは大好きだ。
この好き嫌いって何処から分離するんだろうか?
よくわかんないけど宮台真司さんはダメなんだろうなぁ
何だかんだいってインテリだから。

華氏911の批評がいろいろ出てるけど、何となく思うのはみんな表現が政治と接触することを極端に恐れてるなぁって思う。
必要以上に牽制して先回りして、いかに自分が中立的でクールな立場から話してるかを強調する。
誰もいわないけど私にはそれが必要以上に怖がってるなぁって思う。

サウスパークブーンドックスを見てると政治をジョークを交えて語る作法がアメリカのポップカルチャーにはちゃんとあるんだなぁというコト。
もちろんそれが実現してるのはひとえに彼等の勇気とセンスで、どうしようもない表現はアメリカにも腐るほどあるんだろうけど。
日本だと高度な技術をもつクリエイターが虚構のリアリティの獲得に力を費やすけどアメリカだとどんな表現でも透けてアメリカという主題が出るような気がする。
サウスパークしかりシンプソンズしかりヒーローもののXMENとかですらそうだ。

そういうのが日本の作品だと抽象化されて、一種の見立て遊びになってしまう。
どっちが優れてるとかはあんまいいたくないけど。
少し歯がゆくなるときがある。

とりあえず、こっちの方が今は元気になる。