NANA続き

# TRiCKFiSH 『『NANA』はたしかに2つの道を描いているのだけど、基本的には86年以降、第三の道も選択可能にはなっています。雇用機会均等法の施行によるキャリアウーマンという選択ですね。社長や社長夫人以外の道もあるわけです。
NANA』においての読みどころは、そういう選択肢が排除されているところにあるし、『パラキス』の紫がその道を完全に捨てるわけです。僕はこれを決して看過できないゆえに、『モダンガール論』の構図をそのままアプライするのは、適切ではないと思うんですね。表面的には一緒なんだけども、社会的な背景がまったく違うわけです。問題は、魅力あるライフコースとしてキャリアという方向性が機能してことも踏まえないとな、と。
それと、階層化の問題はデータをいろいろ見る限り、たしかにその兆候は現れています。ただし、「総中流意識」なんてものは、20年そこらの一過性の現象だとも言えるわけです(階層化の善し悪しはべつとしても)。
それと、日本の階層化はエスニシティアメリカ、フランス)やマルクス主義(イギリス)に結びついていない分、先行きは非常に不透明だと感じています。ただし、それらの国家と違うところは、今後世界に例を見ない少子高齢化社会が到来するということなんです。社会保障をそれなりに維持しつついかに階層化を回避する──ということは、見通し的にはかなり絶望的です。日本が完全に福祉国家としての舵を切らないかぎり無理なんだけど、それは自民党が政権を握っているかぎりたぶん無理で、それを国民が選択しているわけだから、どうしようもないよな、と僕は思っています。』   http://d.hatena.ne.jp/narko/20040824

正直私のキャパ超えてるので、とりあえずUpしときます。
少子高齢化と階層化かぁ。勉強しないと。


モダンガール論との連想でいうと、以前、というか初めてid:TRiCKFiSHさんの所に書き込んだ東京ラブストーリーの赤名リカと関口さとみの関係の方がハマるかもしれませんね。
参照→http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20031208#p1

まぁモダンガール論自体、過去の検証で今の状況は書いてないんですよね。
だからその意味でNANAは「その先」を書こうとしているような気がします。
あと前は未整理だったけど
血のつながりとしての「家族」と
血のつながらない「仲間」っていう擬似家族*1の二つの関係性が出てますよね。
もちろん家族ってのは結婚であり母になるってことも含まれるんですけど。
その二つの「つながり」の間で揺れてるのかなぁって気もします。

で、強引にこれを所属するべき居場所*2さがしの物語の問題なんだとすると
仕事の成功→「会社」という居場所
恋愛もしくは結婚*3の成功→「家族」という居場所
だとすると仲間とのつながりという第三の居場所の模索ってのは、ここ数年ファウストの言葉を借りるならゼロ年代の作品の裏に流れる共通のテーマなんですよね。
同じ少女マンガでは「ハチミツとクローバー」なんてそうで
ドラマなら宮藤さんの「池袋ウエストゲートパーク」「木更津キャッツアイ」あと「すいか」ってドラマがあってこれなんかまんまそうです。
そういう流れで多分NANAはあるんだろうけど、そうでありながらNANAは先に書いた作品ほど自信がないというか迷ってる感じがあって、そこが私はすごく面白いです。
まぁ終わったら案外家族回帰みたいな方向で収まるのかもしれないけど。
ただ、この辺りの見方は私のいつものアレで自分で書いてて「また始まったよ」って感じなんですけどね自分でも(笑)

*1:昔ならここは家族なり会社なりに所属する前のモラトリアム期間の仮の住まいという感覚だったんだけど、今は少し違う感じがある。

*2:先に結論書いちゃうと居場所は一つに限定しないで時々で使い分けるという方向でみんな落ち着くんだろうなぁNANAはフィクションだから対立させるけど

*3:異論ある人ゴメンね