恋の門は映画としてダメなんだけど酒井若菜の背後にいるであろう
恋の門大人計画の芝居を思いつめたような目で見てるようなサブカル少女(まぁ男もだけど)
の不安定な内面は肯定してあげたいと思う今日この頃。
でもその支持してあげたいってのは甘やかすってのとは違うと思う。
むしろ悪意こそが最大の愛情というか。
ああいう映画や芝居、私の頃だったら電気グルーヴとか伊集院のラジオとかを好む人ってのは程度の差はあれ表向き仲のいいふりしてるぬるま湯的な学校の人間関係が嫌で、もっと濃いものがある(と思う)サブカル空間へ避難してきたんですよ。だったら松尾さんがやるべきことは居心地いい場所を提供することじゃなくて徹底的に悪意をぶつけることだと思う。
少なくとも芝居の方はそういう需要のされ方だったと思うし(まぁ戯曲とかの印象だけど)
そこをごまかした結果生じたヌルさが嫌だったのかなぁと思う。
でもこういう苛立ちって下の世代にはないのかも?
私にとってサブカルチャーってのはそういう暗くて痛い場所なんですよね。
暗くて痛いけどぬるま湯よりマシっていうリストカッターみたいな心情というか。
ただ楽しいだけのぬるま湯がいいなら別でいいじゃんって思う。
そういう不満なのかもしれない。
この間はうまく言葉にならなかったけど、ずーと考えてて。
やっぱ自分はあっち側だと思うし。
この間のは何か他人事みたいな文章になったのが少し反省。